汗牛足vol.13 ファスト&スロー

読書

「汗牛足」はボクが大学生の時に発行していた本の紹介メルマガである。基本的に当時の原文のままなので誤りや内容面で古いところがあるかもしれないが、マジメ系(?)大学生の書き物としてはそれなりに面白いものになっていると思う。これを読んだ人に少しでも本に興味を持ってもらえたら望外の喜びというものだ。


汗牛足(かんぎゅうそく)vol.13 (2017.3.18発行)


◆大変興味深く読了した本を紹介します。

■ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー 上、下』ハヤカワノンフィクション文庫(2011,2014)

原題は “THINKING, FAST AND SLOW” で、日本語版の副題は「あなたの意思はどのように決まるか?」となっています。内容は副題が示す通りで、人間は大体において適切な判断を下すことができるが、時に合理的でない選択や、不正確な判断をすることがわかる、しかもそれを体感できてしまう本です。ぼく自身人間についての認識が強く揺さぶられる思いがしましました。一般向けに大変わかりやすく書いてあるので、アカデミックな内容を期待する人には論の進め方などで不満な点があるかもしれませんが、それを差し引いても多くの事例が紹介されていて楽しめる本だと思います。

〇システム1とシステム2

著者は人間の思考を2つのモード、速い思考と遅い思考に分けて捉えています。例えば2+2を計算するのに即座に答えが出せるのは速い思考の一例です。他にも音が聞こえた方向を感知したり、簡単な文章を理解したり、といったように自動的かつ高速で努力をほとんど要しないのが速い思考です。一方17×24の計算を暗算でしようと思えばできないことはないですが時間がかかるし、集中しなければなりません。しかもこのとき筋肉の緊張や心拍数の増加、瞳孔の拡大がみられるそうです。このような場合は遅い思考として速い思考と区別します。(タイトルはここから来ているのでしょう。)

著者は、システム1とシステム2という架空のキャラクターを登場させます。両者はともに脳の中のシステムですが、システム1は速い思考、システム2は遅い思考に携わります。目覚めているとき両者は常に起動していますが、人間が考えたり行動したりすることの大半は、システム1によるもので、システム2が前面に出てくるのはシステム1が困難に直面した時です。たとえば17×24はシステム1には酷な仕事だったために、システム2が本腰を入れなければならなくなったと解釈できます。(なお、あくまでこれらのキャラクターは便宜上用いられているのであって、どこかに存在するという誤解を避けるよう著者は注意を促しています。)

私たちが考える自分自身とは、注意深いシステム2にあたります。システム2は自分こそが行動の主体と考えているでしょうが、システム2の形成する明確な意見や計画的な選択において、システム1が生み出す印象や感覚は重要な材料となっていると著者は書いています。

本書の内容はほとんどシステム1の特徴についてであると言ってもよいかもしれません。システム2はサボりがちで、システム1の生み出した印象や感覚を承認することが多く、システム2の判断にはシステム1が強い影響力を持っているからです。システム1がやることはおおむね正しいのですが、欠陥もあり、判断や選択の誤謬の原因ともなります。たとえば、因果関係・相関関係の違いやベイズの定理、平均回帰などはシステム1の考慮することではなく、これらの見落としをシステム2が補うことができるかは人によるでしょう。以下、いくつかの事例を紹介します。

〇プライミング効果

これは、あるプライム(先行刺激)に接したときは、それに関連したものを想起しやすくなるというもの。例えば、「食べる」という単語を見たり聞いたりした後は、単語の穴埋め問題で、 “SO□P” と出されたときに、SOAPよりもSOUPと答える傾向があるそうです。(このとき、「食べる」はSOUPのプライムであるという。)もちろん、「洗う」という単語を見せておけば、逆の結果が出るらしいです。

プライミングは概念や言葉に限られるわけではなく、次のような興味深い実験結果もあるといいます。5分間学生たちに通常よりはるかに遅ペースで歩かせて、その後に問題を出されると、「忘れっぽい」、「年老いた」、「孤独」など高齢者に関連する単語を通常より素早く認識したそうです。逆に、高齢者に関する単語をプライムとして与えられると、歩行速度が通常より落ちるという結果になるんだとか。これがプライミング効果によるものと即断はできないとは思いますが、システム1が無意識のうちに我々を誘導しているという見方には興味をそそられます。

〇認知容易性 (cognitive ease)

「繰り返された経験」「見やすい表示」「プライムのあったアイデア」「機嫌がいい」、これらは「認知容易」につながることであり、認知容易であるものには、「親しみを感じる」「信頼できる」「快く感じる」「楽だと感じる」という印象につながるそうです。たとえば、

アドルフ・ヒトラーは1892年に生まれた。

アドルフ・ヒトラーは1887年に生まれた。

という二つの文章、どちらが正しいでしょうか。前者だけ太字にしており、実はどちらも間違っているのですが、実験では前者の方が正しいと受け取られやすいそうです。これは、「見やすい表示」が「認知容易」なために「信頼できる」という印象を生んだと解釈できます。「認知容易」に訴えかければプラスの効果が得られるのですから応用もできますし、悪用も可能でしょう。選挙前には候補者の名前ばかりを連呼する車がよく走っていますが、これはもしかすると「単純接触効果」を狙っているのかもしれません。この効果は、反復して同じ刺激を受けると、それに人々が好意を抱くようになるというもので、しかもその刺激は意識される必要はないのです。「繰り返された経験」が「認知容易」につながり、つまるところ「信頼」や「親しみ」の印象を与えていると考えることもできます。コマーシャルというのは効果あるのか疑問だったんですが、広告する側としては人々が真剣に見ていなくても、「無意識」に見てくれれば十分効果があるのかもしれませんね。

〇計画の錯誤

著者は次のような計画や予測を「計画の錯誤」と呼ぶそうです。

・ベストケース・シナリオに非現実的なほど近い。

・類似のケースに関する統計データを参照すれば改善の余地がある。

また、プロジェクトの成り行きを過度に楽観的に見積もった例をいくつか挙げています。

・1997年スコットランドの新しい国会議事堂の建設計画が国会に提出されたとき、総工費は4000万ポンドと見積もられていた。しかしその後見積もり額は上方修正を繰り返し、2004年に完成した新議事堂の総工費は4億3100万ポンドだった。

・1969~98年に世界各地で実施された鉄道建設プロジェクトに関する調査によると、90%以上のケースで、新設鉄道の予想利用者数が過大に見積もられていた。また、平均工費は45%低めに見積もられていた。

・自宅の改築に関する2002年にアメリカで実施された調査によると、改修を行った世帯主は当初予算を平均1万8658ドルと見込んでいたが、実際に支払った額は、平均3万8796ドルだった。

そういえばN国で202X年に開催するオリンピック関連施設の予算見積もりが当初より大幅に膨れ上がったのが一時期世間を騒がせていたのは記憶に新しいですね。

〇サンクコストの錯誤

「すでに投じた予算すなわちサンクコストにとらわれて、吹雪の中に突き進む会社があまりにも多い」とか、「成功の見込みがほとんどないようなプロジェクトに和解科学者が悪戦苦闘する姿を、私は何度も見て来た」という著者のコメントにはリアリティーを感じます。戦争の歴史でもきっとサンクコストの錯誤ゆえに多くの人命が失われ、物資は浪費されたことが多々あっただろうと想像するのも困難ではありません。確実な損失を回避するために無謀な賭けに出る愚を犯さないためには、システム1をシステム2が抑制できるかどうかにかかっているようです。

〇プロスペクト理論

著者のダニエル・カーネマンは心理学者ですが、プロスペクト理論の仕事を評価されノーベル経済学賞を受賞しています(2002)。プロスペクト理論はシステム1の次の三つの特徴を組み込んでいると本書で解説されています:

評価が中立の参照点に対して行われること。例えば、氷水につけて冷たくなった右手と、お湯につけて暖かくなった左手を同時に室温の水にひたすと、右手には温かく感じられるが、左手には冷たく感じられる。同じ温度の水につけたのに左右の手で感覚が異なるのは、もともとひたしていた水の温度(参照点)が異なっていたからである。金銭的結果の場合には、通常の参照点は手持ちの財産だが、期待する結果でもありうる。参照点を上回れば利得、下回れば損失になる。
感応度逓減性。100ドルが200ドルに増えればありがたいが、900ドルが1000ドルに増えてもそこまで有り難くない。
損失回避性。損失と利得を直接比較した場合でも、確率で重みをつけた場合でも、損失は利得より強く感じられる。コインの表が出れば150ドルもらえて、裏が出ると100ドル払うギャンブル(期待値は明らかにプラス)は、多くの人が嫌がる。
経済理論においては、公理的かつ利己的で選好の変わらない経済主体「エコン」の、不確実状況下での意思決定を説明する理論として期待効用理論というものが広く使われていたようですが、この「プロスペクト理論」は、首尾一貫した論理的世界観をもたない「ヒューマン」の意思決定を説明するものとして意義があるようです。

その他いろいろ書いてあるのですが、紹介しているとキリがないのでこの辺でやめときます。システム1にはいろいろ欠陥があることも分かったのですが、これに対して打つ手はあるのか、というのが次に気になるところです。著者の回答は否定的で、「よほど努力をしない限り、ほとんど成果は望めない」とのこと。著者自身「相変わらず自信過剰、極端な予想、計画の錯誤に陥りやすい」一方、「自分が犯したエラーではなく、他人のエラーを認識することにかけては、おおいに進歩したと思う」そうです。自分自身の意思決定を改善するのはなかなか難しいが、他人のエラーを指摘しやすくなるなら組織での意思決定には役立てうるということでしょうか。少々難解ですが著者は次の言葉で結論を結んでいます:「自分を批判する人々が正しい知識を身につけ、かつ公正であると信じられるなら、そして自分の下す決定が結果だけで判断されるのではなく、決断に至る過程も含めて判断されると信じられるなら、意思決定者はよりよい選択をすることになるだろう。」

◆あとがき

この「汗牛足」もおかげさまで一周年です!とりわけ感想や近況などを伝える返信があるととても励みになりました。紹介する書籍が読み手にとって読むに値する本かどうかの判断材料になるような、あるいは読み手の視野を広められるような紹介にしたいと思っているので、これからもよろしくお願いします。

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