汗牛足vol.18 「ユートピア」は「理想郷」ではなかった!?

読書

「汗牛足」はボクが大学生の時に発行していた本の紹介メルマガである。基本的に当時の原文のままなので誤りや内容面で古いところがあるかもしれないが、マジメ系(?)大学生の書き物としてはそれなりに面白いものになっていると思う。これを読んだ人に少しでも本に興味を持ってもらえたら望外の喜びというものだ。


汗牛足(かんぎゅうそく)vol.18 (2017.8.12発行)


◆16世紀の古典、その2

前回はエラスムスの『痴愚神礼賛』を紹介しましたが、今回はそのエラスムスの親友であったトマス・モアの『ユートピア』を取り上げます。なお、16世紀の古典をこの夏にいくつか取り上げようと思っているので、8月と9月は2週間おきに汗牛足を発行する予定です。どうぞよろしくお願いします。

■トマス・モア(1516)『ユートピア』[澤田昭夫(訳)(1993)中公文庫]

「ユートピア」という言葉は、理想郷ともいわれ、普通に用いられている語ですが、実はこの本がもとになっているんですね。実はこの造語にはある意味が込められているのですが、それについて触れる前に、本書の内容をざっと紹介しておきます。

『ユートピア』は第一部と第二部の二部構成になっています:第一部は船旅で様々な国々を訪れたヒュトロダエウスという人物と、トマス・モアが友人を介して知り合うところから始まります。その豊富な経験と知識に感服したモアが、ヒュトロダエウスにどこかの王のもとで仕官することを勧めますが、ヒュトロダエウスは自分の見識に基づいて提言しても受け付けられないことを説いて拒みます。そして彼は公共福祉への唯一の道が私有財産の否定とすべての財貨の平等配分であると言い、その実例としてユートピア人の社会を取り上げます。そこでモアはユートピア島について知っていることをすべて話してくれるよう彼に頼むのです;第二部ではヒュトロダエウスの口からユートピア人の生活風習と制度について語られたことが記されます。ユートピアの詳細についてはここでは書きませんが、私有財産を否定し、貨幣を用いず、物資を共有していることが、ユートピア社会の土台であることは強調しておきます。

以上内容のあらましを書きましたが、作品中ではユートピアが実在する島として話が進められていることがわかってもらえたでしょうか。素直に読んでいくと、トマス・モアがヒュトロダエウスという人からユートピアという島についての話を聞き、モアがそれについて記したのが本書なのです。でも、ユートピアなんて島は実在しませんよね?もちろんこの話はフィクションですが、モアはこの作品が虚構であるとはどこにも明記していません。

実はモアはこの話がフィクションだと分かる仕掛けを随所に設けています。それがまず「ユートピア」という語です。原著はラテン語なのでVtopiaと書かれていますが、これは英語で言うnotとplaceにあたる二つのギリシア語を結合して創られた言葉らしく、その意味はズバリ「どこにもない(nowhere)」なんだとか。また、ユートピア島のアーニュドルス河はギリシア語からの造語で「水無し河」を意味し、ほかにもギリシア語由来の「消え去る都市」や、「民なき君主」まで登場します。その上、ユートピアについて語ったヒュトロダエウスは3つのギリシア語の合成語で、「馬鹿者(専制君主)に対する批判者」、「馬鹿話の達人/売り手」といった意味になるそうです。

このように『ユートピア』の作中の固有名詞は、ギリシア語にある程度通じた人ならその裏の意味を知ることができるようになっているんですね。でもギリシア語を知らないと、ユートピア島が世界のどこかにあるんだと誤解しかねない内容になっています。当時はルネサンス期ですから、ギリシア・ローマ古典が重視されていたことがよくわかります。

しかし、こうしてヒュトロダエウスまでもが作者の創作物となると、作品の解釈が難しくなってきますね。というのは、作中のトマス・モアも、ヒュトロダエウスも、トマス・モア自身の分身であって、どちらにモア自身の意見がより反映されているか見極めるのは困難だからです。一例を挙げると、本書の終わりにはこんなことが書かれています:「最高学識者、人間界の最高経験者である彼[ヒュトロダエウス]が語ったことのすべてについて同意することは私にはどうしてもできないけれども、今私が容易に認めるのは、ユートピアの社会には、諸都市に対して、よりただしくいうならば、実現の希望を寄せるというよりも、願望したいものがたくさんあるということです」(p.246)

もちろんこの引用個所の「私」はトマス・モアですが、これは作中のトマス・モアであってトマス・モアその人の本音を反映しているとも言い切れない、という難しさがあります。こうしてみると、トマス・モアは、果たしてユートピアを、理想郷として描いたのかどうかさえ、怪しくなってくるのです。少なくとも、モアの描くユートピアを、彼の考える理想郷だと決めつけるのは、早計だと言えます。

作者トマス・モアはイギリスの人で、1529年には大法官という公職のトップにまでなったのですが、ヘンリー8世の離婚問題をめぐって国王と対立し、1535年に大逆罪として斬首刑に処されています。ヒュトロダエウスと違ってイギリス国王に仕官したモアは現実の政治に理想を貫く不可能を悟っていたのかも……。それでも理想に殉じた悲劇の人として語られることもあるトマス・モア、その生涯にも思いを巡らせると『ユートピア』理解はなかなかの難事業のようです。

最後に、『ユートピア』と前回紹介した『痴愚神礼賛』との対照について、そして、エラスムスとトマス・モアのカトリック教会に対する立場の違い、カトリック側の両者への態度について少し。

『痴愚神礼賛』では、痴愚女神が、自分自身を礼賛するという形で人々の痴愚に対する風刺が、かなり強烈になされていました。一方『ユートピア』でも、控えめとは言え、風刺の要素もあります。たとえば第一部でヒュトロダエウスがどうして王に仕官しないか力説するところでは:「どこの王の参議会であろうと、そのなかにいらっしゃるみなさまはどなたも、他人の助言・勧告など必要としないほど賢明でいらっしゃいます。さもなければ他人の勧告に快く賛成したりはなさらぬほど賢明ぶっておられます」(p.66)また、第二部でも、「上等な衣服をまとえば、自分たちの価値が少なからず上昇するかのように思いこんでいます」(p.171)とか、「連中は、代々金持だといわれ〔今日の貴族というのはそれ以外の何ものでもありません〕、とくに土地をたくさんもっていたと伝えられてきた先祖の家系に生まれたという、そんな偶然の理由でうぬぼれています」(p.172)などなど。

こうしてみると、トマス・モアはユートピアを描くことによって、ユートピアにはありながら現実世界にはない美点と、ユートピアにはないが現実世界にはある汚点を浮き彫りにし、風刺したともいえます。したがって、ユートピアの紹介者にして支持者であるヒュトロダエウスは、『痴愚神礼賛』の痴愚女神に対応する役割を担っていると見ることができますよね。これら二つの作品は、エラスムスとモアの親密な交流があったからこそ誕生した、とも言えるものなので、ともに機知に富んだ構成をもつ、合わせ鏡のような作品だと評されることもあります。

そんなエラスムスとモアですが、カトリック教会に対する立ち位置は異なっていました。エラスムスが強烈なカトリック批判を行っていたことは前回でも触れましたが、モアの方はカトリック教会・教皇の権威への服従の態度をとっていました。したがってカトリック側の両者への態度は当然異なったものになっています。エラスムスの『痴愚神礼賛』は、彼の死後に禁書にされていますし、1558年には教皇パウルス四世によってエラスムスは第一級の異端者とされ、その全著作が禁断書にされてしまいました。それとは対照的に、モアの『ユートピア』は禁書にはなりませんでしたし、20世紀に入って1935年には聖人の列に加えられているのです!彼らは親友とはいえ、カトリック教会側は、それぞれに正反対の態度をとっているところが印象的ですね。

参考文献
・渡辺一夫(責任編集)(1969)『世界の名著 17 エラスムス トマス・モア』中央公論社
・伊藤博明(責任編集)(2007)『哲学の歴史 第4巻 ルネサンス』中央公論新社

◆あとがき

ヒュトロダエウス:「私は、私有財産制がまず廃止されないかぎり、ものが、どんな意味においてであれ公正、正当に分配されることはなく、人間生活の全体が幸福になるということもないと確信しております。」(p.112)

トマス・モア:「私には逆に、すべてが共有であるところでは人はけっして工合よく暮らしてゆけないように思えます。自己利得という動機から労働に駆りたてられることもなく、他人の勤労を当てにする気持で無精者になり、だれしも働かなくなるようになれば、物資の豊富な供給などはいったいどうしてありえましょうか。」(p.113)

今年、2017年はロシア革命100周年だとあちこちで見かけますね。史上初の社会主義政権成立の一つの重要な契機としてロシア革命はビッグ・イベントでしたが、その400年ほども前の本に、共産主義の先駆的な主張と、それに対する反論が書かれていたことにも驚きました。

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