三銃士v.s.モンテ・クリスト伯、どちらの方が面白いか?

読書

この記事は2023年10月にサービスが終了した読書サイト『シミルボン』に投稿していた記事である。ボクの日記から推定すると、記事の公開は2021年5月頃。

アレクサンドル・デュマの『三銃士』と『モンテクリスト伯』を読んで。

どちらもアレクサンドル・デュマ(ペール)の有名作ということで、立て続けに読む。三銃士の方は大変面白く、一気に読んでしまったが、モンテ・クリスト伯は長すぎて途中だれてしまった。

イギリスの作家、サマセット・モームは『読書案内』において、三銃士について次のように記している。

『三銃士』は、堂々としたロマンティックな小説である。あるいは純文学の作品ではないかもしれない。また、人物の描写は不完全で、作品の構想は工夫がたらないといえるかもしれない。だが、おどろくほど楽しい書物である。ここでいま一度いっておけば、よんで楽しい書物が書けること、これは小説家にとってぜったいに必要な才能なのである(岩波文庫、西川正身 訳)

モームが言うように、三銃士は技巧的には優れているとは言い難い。冒頭で、本書は「ラ・フェール伯爵の回想録」の第一部だと書かれているが、内容はいわば「神の視点」で書かれていて、形式上回想録になっていない。この時点でズッコケだが作者は気にならないらしい。

主人公のダルタニャンにしても、彼という人物がいかに形成されたのかはほとんど伺えない。また、冒頭は「18歳のドン・キホーテ」の呼称通り猪突猛進型なのに、中盤では三銃士から信頼される思慮深い勇者、いわば “ホンモノの騎士” 状態になる。この転身はいかにして可能なのか?よく分からない。かと思えば、「思慮深い主人公」の役は後半に至って銃士の一人・アトスにほとんど取られてしまっている。三銃士・アトス、ポルトス、アラミスについて言えば、アトスについては彼の半生が明かされるものの、他の二人はほとんど脇役で、特に後半は鳴りを潜めている。

こうした構成上の欠陥、人物描写の甘さがあるにも関わらず、本書が楽しい書物であることに私は異論がない。なぜ楽しく読んでしまったのか?一つはキャラクターの明快さだろう。ダルタニャン、アトス、ポルトス、アラミス各人の個性的なキャラクターと彼らの友情が物語前半の推進力になっている。一方の後半は、悪役のリシュリュー枢機卿と、謎めいた美女ミラディーとの企みを阻止できるのか、また、ミラディーとアトスの秘密をめぐって好奇心がかき立てられる。結末は個人的にはビミョーだが、ストーリーは全体として読者を惹きつけるだけの魅力はある。

三銃士が予想外に面白かったので、調子に乗ってモンテ・クリスト伯(略称:モンクリ)にも手を出したが、ここで変調をきたした。かったるくてつまらないのだ。単純な好青年エドモン・ダンテスから謎めいた紳士モンテ・クリスト伯への転身がリアリティーに欠けるのは置いておくとしても、モンテ・クリスト伯の復讐行為には驚くほどスリル感がない。また、伯爵となってから復讐を遂げるまでに主人公が経験する内面の葛藤は、私の知る限り1度しかなく、それもすぐに解消されてしまう。大したピンチもスリルもなく、ロマンも希薄な復讐計画には引き込まれなかった。三銃士に見られるような愛すべきキャラクターが登場しないのも大きい。

クライマックスの「待て、しかして希望せよ!」という至言は心に残るが、棚から牡丹餅的幸運を手にした主人公の口から発せられてもあまり説得力はない。この長ったらしい小説は結局お説教だったのか、という後味の悪さを感じるのは私がひねくれているからだろうか。

唯一、モンクリにあって三銃士にない興味は、当時のパリ上層階級の風俗が垣間見えることだった。そもそも、三銃士は17世紀前半を舞台にしているのに対し、モンクリの舞台は19世紀前半で、およそ200年の開きがある。作家デュマ・ペールは1802年生まれなので、モンクリの舞台は作者の生きた時代でもあった。作中では何度かオペラ鑑賞の場面が出てきて、当時のオペラが純粋に鑑賞するものではぜんぜんなかったことがよくわかるし、会話の中でギリシャ神話やシェイクスピア、当時の小説の登場人物が比喩的に用いられているのも、おそらく当時としてはそれほど珍しいことではなかったのではあるまいか。また、日本人の読者としてはそのオリエンタリズムも気になる。伯爵は東洋の慣習になじんだ人間として描かれ、日本の骨董品なども作中に何度か登場していた。

私が三銃士とモンクリに異なる症状が出た一つの要因は、物語の舞台や登場人物のキャラ性の違いなのだろう。しかし、もう一つ気になるのはゴーストライターの存在だ。

デュマ・ペールの多くの作品は数々の若い作家が助手ないし共同執筆者として手伝っていたと言われるが、中でもオーギュスト・マケ(1813-1888)の貢献度は大きかったようだ。集英社世界文学大事典によれば、三銃士の原稿はまずマケにより作成され、それをデュマが手直し・加筆したという。英語版のウィキペディアにはマケを「四番目の銃士」と評価する見解が紹介されていて、マケの役割が決して小さくなく、共著者として名前を連ねるべき存在だったと思われる。

モンクリについても、英語版ウィキによればマケによるあらすじがデュマにより発展したものだという。一方、岩波文庫の訳者・山内義雄はモンクリはデュマが着想から執筆まで独力で書いたと解説している。どちらが正しいのか私には判断できないが、三銃士に比してモンクリに対するマケの貢献度は低かったという仮説は成り立つかもしれない。そうであれば、私はデュマよりもマケの才能を買っている、ということになるだろう。
デュマとマケの関係について詳しい方がいらっしゃればご教示いただけると幸いです。

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