ツルゲーネフ『父と子』 ロマンチストとニヒリスト

読書

この記事は2023年10月にサービスが終了した読書サイト『シミルボン』に投稿していた記事である。ボクの日記から推定すると、記事の公開は2020年12月頃。

19世紀ロシアの作家、イワン・ツルゲーネフの代表作。「ニヒリスト」という言葉を有名にしたという点でも重要な作品だと聞いていたが、作中の「ニヒリスト」は決して厭世家ではない。作中の青年アルカージイはこう解説している:

「ニヒリストというのは、いかなる権威の前にも頭を下げぬ人、いかなる原理も、たとえその原理がひとびとにどんなに尊敬されているものであっても、そのまま信条として受けいれぬ人をいうのです」(p.43)

父と子 (新潮文庫) 文庫 – 1998/5/4 И.С. ツルゲーネフ (著), 工藤 精一郎 (翻訳)

これは、いわば「批判的精神の持ち主」といったところで、必ずしもネガティブな意味はない。アルカージイはニヒリストである友人のバザーロフに心酔しており、ニヒリズムを旗印にして悦に入る。

しかし、ニヒリストらは既存の権威や慣習を単に認めないのではなく、愚弄して優越感に浸っている。バザーロフのぞんざいな言動は、アルカージイの父ニコライや伯父パーヴェルといった「旧時代の人間」の反感を招かざるを得ない。タイトル通り、「父と子」の世代間のすれ違いや対立が本書の主要なテーマになっている。貴族主義を奉じるパーヴェルと、「いっさいを否定する」バザーロフとの論争は本書序盤のハイライトだ。

物語の中盤に入ると、美しく気品のある未亡人オジンツォーワの登場によって、アルカージイとバザーロフの友人関係に懸隔が生じてくる。ここではニヒリストとペシミストとの親近性、ニヒリズムとロマンチシズムの相克が新テーマとして浮上する。

2人の青年を惹きつけるオジンツォーワには「生きる希望と熱意がない」。「思い出はたくさんあるけど、思いだしたいことは一つもありませんの」という迷言を放つ彼女は、ペシミストだった。ペシミストとニヒリストは相性がよいのか、彼女はバザーロフと相通じるものを感じる。

一方のバザーロフはオジンツォーワに恋心を抱き、動揺する自己を発見する。しかしロマンチシズムをも否定しなければならないニヒリストは、恋に落ちる自分を否定しなければならなかった。その葛藤を知らないロマンチスト、アルカージイがバザーロフと衝突するのは時間の問題だ。

物語の終盤は目まぐるしい展開で一気に読ませる。禁断の恋と決闘、貴族主義の限界、信仰と無神論、転向と挫折、自然との和解……。これほどのテーマを凝縮して昇華させる作者の技量に感嘆せざるを得ない。

こうしたテーマの豊富さは、本書の面白さであると同時に解釈の難しさにもつながっている。読み手の興味・関心によって、様々な解釈が可能だと思うが、私は本書を「芸術無用論」に対する反駁の書と見た。

カエルの解剖に熱中するバザーロフは「立派な化学者なら、どんな詩人よりも二十倍も有益ですよ」と断言する。ニヒリストにとって自然や芸術は「感じるもの」ではなく、探究と批判の対象でしかない。物質的な豊かさに貢献しない芸術・芸術家を軽視する向きはむしろ現代の方が優勢かと思うが、ツルゲーネフはニヒリストに対するロマンチストの勝利を歌い上げ、自然と芸術を愛する心を称揚している。もしもツルゲーネフが現代に生きていれば、コロナ禍の今こそ芸術が必要だと訴えたことだろう。

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