汗牛足vol.8 失敗の本質

読書

「汗牛足」はボクが大学生の時に発行していた本の紹介メルマガである。基本的に当時の原文のままなので誤りや内容面で古いところがあるかもしれないが、マジメ系(?)大学生の書き物としてはそれなりに面白いものになっていると思う。これを読んだ人に少しでも本に興味を持ってもらえたら望外の喜びというものだ。


汗牛足(かんぎゅうそく)vol.8 (2016.10.15発行)


◆終戦の日から2カ月経ってしまいましたが、戦争関連で興味深いものがあるので紹介します。ビジネス本としてもよく売れているので知っている人もいるかもしれません。

■戸部良一 他五名『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』中公文庫(1984,1991)

アジア・太平洋戦争(大東亜戦争)について、あのような戦争の惨禍を二度と繰り返さない……というのが常套句になって、平和主義からは絶対悪のようなイメージを塗られ、こんなに多くの人々が犠牲になったとか、あるいは勝てる見込みもない戦争をして、なんてバカなことをしていたんだろうという見方が広まっている、という印象を抱いています。それが悪いと言うつもりはないのですが、ぼくが前から疑問なのは、そうやってあの戦争をマイナスのヴェールで包み込んでいる限り、そもそもあの戦争はどのように始められ、どのような経緯を経たかという肝心の点が分からないままではないか、ということです。多大な犠牲を払っての降伏という結果に反省するのはそれでよいのですが、反省だけならサルでもできるのであって、そこで満足してしまって問題の本質を問わないとすれば、理性ある人間のすることとは言えないと思います。

◎内容

紹介する本書は、かの戦争では負けるにしてもあまりにひどい負け方だったのではないか、という問題意識に立ち、組織論の立場から日本軍の失敗を検討し、そこから教訓を得ることを目的としています。あくまで論点を絞って独特のアプローチを試みているので、あの戦争を包括的に知ることはできませんが、それがむしろ、「歴史を学ぶ」のではなく、「歴史に学ぶ」という建設的な取り組みを可能にしていると思います。

第一章で日本軍敗北の6つのケースを個別に取り上げたうえで、二章で各事例に共通の戦略上・組織上の失敗の要因を取り上げ、三章ではそれらを理論的に整理し、今日的課題が提示されます。第一章は戦史に疎いぼくにはハードでしたが、二章や三章を読むと、日本軍の欠陥があらわになり、なおかつこれらの欠陥は今日の日本のあらゆるところに色濃く見られるものではないかとの意を強くしました。個人レベルに置き換えても、自分の中に日本軍的な傾向があることがわかり、ショッキングですが参考になりました。

◎日本軍の戦略・組織特性

個々の事例は割愛させてもらって、日本軍の欠陥を抽出すると、だいたい次のように言えます。参考までに眺めてください。

1. [戦略目的]目的が曖昧、多義的で価値観が統一されず、兵力が分散

2. [戦略志向]短期的戦略思考→攻撃、決戦重視で、防御、情報、諜報、(物的・人的)補給を軽視

3. [戦略策定]場当たり的対応に終始、情緒や場の空気を重んじる非論理的な議論

4. [戦略オプション]金科玉条が堅持され、その他の状況・敗北は想定外

5. [技術体系]兵備は一点豪華主義で標準化と量産がなされない(ハードウェア)・情報システムの軽視(ソフトウェア)

6. [組織構造]組織メンバー間の人間関係を重視した、非合理的、非体系的な意思決定

7. [組織統合]陸・海軍の対立を解消できる統合機関がなく、上部の個人による非計画的、非体系的な統合

8. [組織学習]失敗の蓄積・伝播がなされない←精神主義による敵戦力の過小評価と自己戦力の過大評価、「シングル・ループ学習※」

9. [組織内評価]声高な積極論者・必勝論者の作戦計画がまかり通り、結果が失敗でも彼らの責任は明らかにされない

※シングル・ループ学習とは、目標や問題設定が与えられた(自ら目標や問題を見出いしたり変更することはない)とき、最適解を導く学習プロセス。一方、変化する現実に合わせて目標や問題設定を変革しながら対応する自己変革的な学習プロセスを「ダブル・ループ学習」と呼んでいる。

これらの日本軍の欠陥を眺めてみると、どうも他人事ではない気がします。いや、むしろ現在ごく普通に見られることのように思えます。東京オリンピックの国立競技場の問題や、豊洲市場でも盛り土がどうだ、地下水がどうだと騒がれていて、ぼくは決してよく知っているわけではないのですが、責任が誰にあるのかうやむやで、どうも組織面からして問題があるように思えます。そんな大きな問題でなくとも、中学や高校のちょっとしたグループ学習や、その他の取り組みでも、組織がなっていないので人間が集まるほどある種のエントロピーが増大して、そのパフォーマンスの低さに拍子抜けした記憶があります。日本人は個人単位ではそれなりに優秀なのに集まると驚くべき低能集団になることとその逆を行く西欧人の対比をどこかで見ましたが、文化的背景として「和を以て貴しとなし……」ではどうも致し方ないのかもしれません。

◎Adaptation Precludes Adaptability

意表を突く逆説の類はぼくの好むところですが、この「適応は適応能力を締め出す」ということがまさに日本軍に起こったのであり、日本企業が苦境に立たされているのは、この過誤を引き継いでいるからだと本書は言います。明治維新以後西洋に追い付け追い越せで半ば強引に西洋化を進めてきた日本は、日清戦争後に不平等条約改正に成功し、日露戦争では賠償金こそ得られなかったものの「臥薪嘗胆」が遂に実ったのでした。この日本の「適応」能力は優秀といって間違いないことは歴史の証明するところですが、「適応」とともに自己変革能力を喪失してしまったのかも知れません。これが正しいと信じてつかんだ成功だけに、その正しいと思ってやってきたことが絶対的なものとなって、状況が変化しても、それに固執して自らの戦略や組織を変革することができなかったのです。

今日の政府は日本が経済成長を続けていくという仮定のもとに予算を立てているようですが、いったいどうして過去の成功物語にすがりついたまま現状を省みないのでしょうか。一億総中流はとっくの昔に過ぎ去り、いまや経済格差と貧困の波が列島を飲み込もうとしているのにどうしてそれを認めないのでしょうか。もっともこの言い方はぼくのバイアスを多分に反映したものであるかもしれませんが、本質的にかつての日本の過ちを繰り返しているのではないかという疑いは、確固たるものとなりました。

◆あとがき

日本軍の非合理で非論理的で視野偏狭でいて、楽天的で自信過剰な有り様はぼくの想像をはるかに超えていて、読んでいて呆れてしまいました。しかし残念ながらこれは「過ぎた話」でも「終わった話」でもありません。日本軍に呆れても、その呆れは自分たちにはね返ってくるものなのです。歴史を現在と切り離して過ぎた話として語るのは退屈ですし、あまり意味がないことに思えます。歴史を学ぶ楽しみは、その歴史がまさに自分がいま生きる現在につながっているのだという認識があって初めて本物になるのではないでしょうか。そして、そのように歴史を見ることは、また同時に未来をうかがうことでもあると思います。そうしてはじめて自分が生きる現在を位置づけることができ、それは自分を知ることにつながるとぼくは考えます。ややこしいことを書きましたが、要するにこの本には考えさせられるところが大いにありました。

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