汗牛足vol.12 99.9%は仮説。残りは?―分かりません。

読書

「汗牛足」はボクが大学生の時に発行していた本の紹介メルマガである。基本的に当時の原文のままなので誤りや内容面で古いところがあるかもしれないが、マジメ系(?)大学生の書き物としてはそれなりに面白いものになっていると思う。これを読んだ人に少しでも本に興味を持ってもらえたら望外の喜びというものだ。


汗牛足(かんぎゅうそく)vol.12 (2017.2.18発行)


◆今回は科学に関する話題です。

■竹内薫(2006)『99.9%は仮説』光文社新書

新書なのに10年以上も前の本で恐縮です。当時はかなり売れたみたいですね。著者は割にテレビに出たりしているので知っている方もいるかもしれません。読みやすい文体でササッと読めるのでわざわざ買うほどの本でもない……なんて言うと怒られるかもしれませんが、とりあえずぼくが共感した箇所と、ホウ、そんな考え方があるのかと思った点に絞って紹介します。

ぼくがすっかり共感してしまったのは、「いまの日本の理系教育では、科学史も科学哲学も完全に置き去りにされている」という現状を指摘した上で、「日本が科学というきわめて重要な人間の文化的な営みを本当に自分たちのものにするためには、もっと科学史や科学哲学の教育をしないとダメだ」としている点です。まあ、これは著者独自の主張というよりほかの人も指摘する正論だとは思いますが。

高校までの学習では一応、ドルトンだのアボガドロだの、ニュートン、メンデルやワトソンとクリックなんかも出てきたように思いますが、それは科学史に沿ったものというよりも、学習内容に応じて申し訳程度に登場した人物だった気がします。しかしこれではあたかも科学が単線的に発展の一途を辿ったかのような誤解を与えかねないし、教科書に載っていること(科学の内容)は正しく、科学は客観的で信頼できるもの、真実を導くものだという思い込みが広まってもおかしくない教育を受けてきたように思います

例えば物理のエネルギー保存則などは「法則」として教わり、当たり前のように受け入れられています。しかし例えば物理学者ファインマンはその”The Feynman Lectures on Physics”で、エネルギー保存則について、”There is no known exception to this law—it is exact so far as we know.”と述べていますね。いまのところ例外が知られていないのでまあその限りで正しいと、永遠の真理などではないよ、ということは案外スルーされているけど、そこが大事だと思います。(この本はぜひ原書で読破したいと思っていたのですが難航しています。読んでいてFeynmanの講義は彼の科学的センスが随所に現れているように思いますね。)

科学史というのはやはり科学そのものについての認識を深めるうえで欠かせないものだと思います。著者はいくつかの事例を挙げた上で、「われわれの世界観、われわれが親から教わること、われわれが学校で教わること、そういったものは、すべて仮説にすぎ」ないとしています(もちろんこれも仮説)。そして一口に仮説といっても、一般に受け入れられた「白い仮説」とタブー視されるような「黒い仮説」、その中間の「グレーゾーン」があって、白い仮説が黒い仮説になりうること、もちろん逆もあり、またグレーの濃淡も人それぞれ違ったように捉えているという考え方を提示しています。

また、日本では高校で倫理を取った人以外は基本的にほとんど哲学を学んでいないという現状なので、まして科学哲学はその存在すらどのくらい認知されているのかあやしい状況ではないかと思います。ぼくの理解では科学哲学は科学とはどのような学問なのか考える学問であって、科学の本質を問うものです。著者はカール・ポパーの「科学は、常に反証できるものである」という科学の定義を紹介していましたが、ぼくは少なくとも一年前まではポパーのことはちっとも知りませんでした。科学とは何か、どのような営みか知る機会のないまま教科書的な科学の内容だけを学習し、大学で専門的な内容に特化しているとすれば、「土台があやふやな感じ」は否めないと思います。

そこで自分で勉強するための科学史や科学哲学入門によい本は何か、となるとやはり以前にも一度紹介した

〇野家啓一(2015)『科学哲学への招待』ちくま学芸文庫

でしょうか。この本は科学史、科学哲学、科学社会学の三つを手ごろな文庫本一冊にまとめているのが魅力でぼくのお気に入りです。

また、科学史については比較的最近に

〇橋本毅彦(2016)『図説 科学史入門』ちくま新書

という本がでています。まだ読んでいる途中なのですが、科学者が用いた図などを多く掲載していて、図をパラパラ眺めるだけでも面白いですね。ただ、図を用いることが一つの制約になってしまって、内容が偏ったり断片的になってしまったりしている気もします

科学とひとくくりにせずに物理学、化学、生物学、地学、といったふうに大雑把にわけてそれぞれの歴史について書いた本も手ごろなものが出ているので、それを読むのもアリだと思います。(実のところこういった本を探しているので、「○○学の歴史」について書かれたおススメ本あったら教えてください。)

再び『99.9%は仮説』に話を戻して、ぼくがこの本でようやく知った言葉に、「間主観性」があります。どうやら現象学の創始者フッサールが言い出したようなのですが、客観と主観についてのフッサールなりの回答みたいですね。著者は「間主観性というのは、ようするに、「相手の立場になって考えてみる」というだけのこと」と書いていて、一見かなり雑にまとめたようにも見えますが、一面ではよいところを突いているのではないかと思います。他人の立場になって考えるには、自我とは別に他人の自我(他我)の存在を認めないといけないわけで、他我の存在を確信することが、間主観性が成立するということだとぼくは理解しています。ついでに客観に関してなんですが、ぼくの理解では客観的にある事柄が正しいというとき、それは多くの人が「それは客観的に正しい」というある種の主観を共有している、あるいは共有すると思われるということではないでしょうか。客観的に考えるというのは一般には肯定的な意味に取られますが、よく考えると確固とした客観など存在しえないと思えます。

◆あとがき

最近既存の本棚に本が入らなくなってしまい、平積みの本が机上を侵食し始めました(汗)。そこで「読まないで済ます技術」を切実に求めています。ホントは、今回紹介した『99.9%』はこの「読まないで済ます技術」がかなり生かせる、少ない内容をふくらませた本かもしれません(失礼!)。でも刺激的なところもあって面白く読ませてもらいました。ちなみにタイトルの解釈は読者にゆだねられていますが、ぼくは「著者(竹内薫)の99.9%は仮説であり、残り0.1%は信仰である(著者はクリスチャン)」と(テキトーに)解しておきます。

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