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ゴーゴリが拡大する人間の醜さについて

19世紀ロシアの作家ニコライ・ゴーゴリの作品3作を読む。 「外套・鼻」は6年ぶりに再読。当時はB5ノート5ページにわたって感想を記すほど興が湧いたが、今回は割に冷静に読んでしまった。 「鼻」は床屋の朝食から生身の鼻が出てきたかと思えば、その鼻が独り歩きして紳士として振る舞ったりするなど荒唐無稽だが、一つの思考実験として面白い。 官職を求めてペテルブルグに滞在中で、プライドが高く大の女好きのコワーリョフにとって、鼻がなくなるという事態は社会的な死を意味した。
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岩波文庫で歴代最長タイトルの小説を読んでみるとくだらなすぎて戸惑った話。

1927年の創刊以来、現在まで存続する岩波文庫に収められた数々の作品の中でもおそらく最長のタイトルを有する本は、早くも創刊翌年の1928年に出版された。そのタイトルは、『イワーン・イワーノウィッチとイワーン・ニキーフォロウィッチとが喧嘩をした話』である。19世紀ロシアの作家・ニコライ・ゴーゴリ作の小説で、2018年にリクエスト復刊された際に購入したまま放置していたのだが、先日何とはなしに一気読みしてしまった。
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ウェーバーとヴェーバー、2020年新書界の事件

2020年5月、中公新書から『マックス・ウェーバー  近代と格闘した思想家』、岩波新書から『マックス・ヴェーバー  主体的人間の悲喜劇』が出版された。2020年はヴェーバーの100回忌ということもあるが、ほとんど同じタイトルの新書が同時期に出版されるのは珍しい。何はともあれ、ヴェーバーに関心のある人間にとっては大変うれしい事件だ。 ちなみに、「ウェーバー」と「ヴェーバー」の違いは、Weberを英語読みにするか、ドイツ語読みにするか、という違いによる。
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仲正昌樹『マックス・ウェーバーを読む』――ウェーバーを読む格好の手引書

ウェーバーの主要な著作群を取り上げて、要点を引用しながら解説している好著。ウェーバーの著作(の翻訳)をいきなり読む前に読んでおくと、予備知識を得ることができるし、逆にウェーバーを先に読んでから本書を読むと、「そういう読みもあったか!」という発見もある。現代の事例も挙げながら解説してくれているのが理解の助けとなりありがたい。
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エミール・デュルケム『社会学的方法の規準』を読む その3――創発としての社会

デュルケムの『社会学的方法の規準』(1895年)を読む試みです(第3回/全3回)。第四章 社会類型の構成にかんする諸規準 前章で述べられたように、ある社会的事実が正常か、病理的であるかは社会の種類、「社会種」によって異なる。では、社会種はどのように構成し、分類すればよいかというのが本章での課題となる。デュルケムによると、分類を行うことの意義は、次のようになる:
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エミール・デュルケム『社会学的方法の規準』を読む その2――犯罪は「正常」な社会現象?

デュルケムの『社会学的方法の規準』(1895年)を読む試みです(第2回/全3回)。第三章 正常なものと病理的なものの区別にかんする諸規準 第三章は本書の肝だと思うので、少し詳しく取り上げる。実践の学としての社会学 ここまでデュルケムは社会学が科学としての性質を獲得できるように、社会学独自の研究対象とその観察における諸規準について述べてきたが、彼は社会学が単に社会的諸事実の観察や説明に留まるべきだとは考えていない。むしろ、社会学は「いかにあるか」という問題だけでなく、「いかにあるべきか」という問題をも探究できなければならない、と宣言している。
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エミール・デュルケム『社会学的方法の規準』を読む その1――社会をモノのように扱う

デュルケムの『社会学的方法の規準』(1895年)を読む試みです(第1回/全3回)。 エミール・デュルケム(1858-1917)といえば『自殺論』が有名であるが、中公文庫で買ってまもなく字の大きな新装版が同文庫で出版されたショックで放置したまま、読んでいない。最近自分の中で社会学への関心が俄に高まり、社会学の始祖の一人として著名なデュルケムの方法論的アプローチを示した代表作として本書が読んでみたくなった。読んでからかなり経ってしまい、何が書いてあったか大分忘れてしまったが、社会的な現象をモノのようにして扱う、というテーゼと、犯罪は必要ですらあるという新奇なテーゼ、および、社会を科学的に探究するための方法論的考察への真摯な姿勢が印象に残っている。以下、復習。
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新井紀子『AIに負けない子どもを育てる』読解力試しとしても使える一石二鳥の本。

前著の『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』では、AI(技術)の解決困難な課題として文章の読解がある一方で、今日の児童の多くも文章の読解が十分にできていないことが明らかにされ、彼らの職業がAIによって代替されかねないという問題提起がなされた。前著に続く本書では、特に読解力の問題に特化して、その評価法の紹介と現状の分析と教育についての提言が示されている。
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戸田山和久『教養の書』本屋で衝動買い。まっとうな教養論

本屋で見つけて衝動買い。まず装丁がウケる。高校時代に宣教師に声をかけられ受け取った『モルモン書』を思い出してしまった。「どうだ、出してやったぜ!」と言わんばかりのタイトルと“立派な”カバー。これはこの人にしか書けない本だ。 この本は特に大学新入生に向けて、教養とは何か、教養への道を妨げるものは何かを説き、オマケに教養を身につけるためのアドバイスを紹介している。私も大学入学時にこの本を手にすることができれば、もう少し賢明な大学4年間を送れたかもしれないと思うとつくづく残念だ。
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汗牛足vol.39 21世紀人としてグローバルに物事を考える本

ハラリのの“21 Lessons for the 21st Century”はこれまで紹介してきた『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』とはちょっと性格が異なる書物なのです。以前の著作が大きな視点で人類の物語を描くようにして記述されていたのに対し、この最新作は現在に焦点が絞られています。タイトルが示すように21の章が集まって構成されているのですが、各章の内容はお互いにほぼ独立しており、例えば「戦争」や「移民」、「瞑想」といったテーマごとに、現在を生きる私たちを念頭に置いて考察する内容になっています。