ゴジラ-1.0を観てボロ泣きした件。

映画

昨年(2023)話題になったゴジラ-1.0ですが、遅まきながらAmazon Prime Videoで観たので、その感想。

庵野秀明監督のシン・ゴジラ(2016)が相当面白かったので、あの映画から数年たったとはいえ、またまたゴジラのリメイク物をやるなんてどういう了見なのかといぶかっていたのだが、実際観てみるとボロ泣き。こんなに泣くと思ってなかったのに泣いている自分が可笑しくて泣きながら笑うというよく分からない事態になった。

Amazon Prime Videoより

シン・ゴジラは群像劇だったのに対して、こちらは主人公・敷島にフォーカスを当てて、その内面を深堀りしている点が大きく異なる。また、時代背景も相当に異なっており、庵野監督のそれは現代日本だったのに対して、本作では戦後間もない日本にゴジラが襲来する。「俺の戦争はまだ終わっていないんだッ!」という敷島のセリフが象徴するように、第二次大戦からの連続性が強調されたことで、それぞれの登場人物が”戦後”とどう向き合うか、というドラマが生まれている。このドラマ性への共感こそが、私を泣かせたものに他ならない。

戦争を生き抜いた、あるいは生き残ってしまった人々が、どのようにあの戦争を捉えていたか。本作では、あくまで一般国民としては非合理でナンセンスな戦争をしてしまった、人命を軽んじた戦争をしてしまった、という反省の意を持っていたように描かれている。この点は実際のところそれほど単純ではなかったと思われるが、現代日本人の共感が得られやすいのはもちろん本作のような筋書きだろう。その反省の上で、ゴジラ対策を政府がやらないのであれば民間の有志でやろう、というストーリーになるところに本作の斬新さがある。

本作の意義は、民間の有志が主導してゴジラ対策に乗り出した、というところだと思う。これまでの日本の歴史において、一般の人々がお上に頼らず自分たちの頭で考えて行動し、何か成果を出した、ということはほとんどなかった。しかし、本作では政府が身動きが取れないなら、と民間人が名乗りを上げて行動する。ゴジラという外敵に対して、日本軍の失敗を踏まえた上で立ち向かおうとする心意義がある。こうして達成したゴジラ退治は――結局のところ深海の気圧差を利用したプランAではなく主人公の捨て身のプランBによって達成されたとはいえ――日本史上初の民主的偉業と言える。

この映画が問うているメッセージは、日本の「戦後」はいつまで続くのか?であるように私は受け取った。日本人は先の大戦から学び、厳正な自己批判を経て本当の意味で新生日本の立上げに成功したのか、という問題だ。結局のところ、我々はこれまで本当の意味で民間主導で大プロジェクトを成し遂げたとか、成し遂げられる、成し遂げられるはずだ、という国民の共通認識が持てていない。本当の意味では、日本には民主主義は根付かなかったし、戦争中に築かれた社会システムは21世紀になっても引き継がれている。その端的な結果が、この失われた30年であり、そして今まさにその渦中にある円安なのだ。残念だが、もう一度日本がリスタートするためには、ゴジラ並みの外発的ショックが必要なのではないかと、そう思ってしまうのである。

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