汗牛足vol.1 僕の読書に役立っている三冊

読書

「汗牛足」はボクが大学生の時に発行していた本の紹介メルマガである。基本的に当時の原文のままなので誤りや内容面で古いところがあるかもしれないが、マジメ系(?)大学生の書き物としてはそれなりに面白いものになっていると思う。これを読んだ人に少しでも本に興味を持ってもらえたら望外の喜びというものだ。

月一度、僕の読書活動の一環として本の紹介をする「汗牛足」(かんぎゅうそく)を発行します。基本的に長文になるので、読み方としては時間を取って読むか軽く流すかのどちらかになると思います。僕としては読む人にとってある程度参考になるものを書こうと努力するつもりです。形式的には複数の方に送信する一種のメールマガジンと思っていただけるといいです。どうぞよろしくお願いします。

ちなみにこのちょっとヘンなタイトルは汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう、蔵書があまりにも多く、牛に運ばせると汗をかき、家に積み上げると棟まで充ちるという四字熟語)から着想を得ました。(一応断っておきますがこの四字熟語は決して僕の実状を表しているのではなく、僕のあこがれみたいなものです。)


汗牛足(かんぎゅうそく)vol.1 (2016.2.13発行)


◆今回は僕の読書に役立っている三冊を紹介します

■読書力/斎藤孝/岩波新書

この本は僕が本の世界に本格的に入るきっかけとなった一冊です。かつての僕は本なんか読んで何の意味があるのか、また、本を読むにしても何を読めばよいのか、という疑問を抱いていました。ところが高1の秋にこの本を読んでから、これらの疑問は解消し、僕は本を読まねばならないという(謎の?)義務感を持って本を読むようになりました。本は楽しんで読むものだという立場から見ると義務で読むのは貧相かもしれませんが、本は読もうという意志がなければ読めませんし、何であれ本を読むようになったことは、多角的・巨視的な見方を得るという観点で、僕の人生において限りなく大きなプラスでした。

○内容紹介

タイトルにある「読書力」について説明しておきます。著者は、「読書力」があるということは、精神の緊張を伴った読書をする習慣があるということだ、としています。また、その一つの目安は、文庫百冊、新書五十冊を4年程度で読む、というものだそうです。ただし条件がついていて、文庫本は推理小説や完全な娯楽本を除いたもので、新書はある程度の知識情報がコンパクトにまとめられたものを理想としています。

「何のために読書をするのか」という問いに対しては、「読書は自己形成の王道であり、コミュニケーション能力の基盤になる」と答えています。

また、著者は読書をスポーツにたとえて、「読書力」をつけるプロセスをステップをふんで説明しています。その他読書をするうえで参考になることがあれこれ書かれています。巻末には著者の選んだ文庫100選というのが載っていて、テーマごとに一言コメント付きで5~10冊程度紹介されています。「何を読めばよいのか」という疑問に対して大いに役立ちました。

○コメント

僕はこの本を読んで、「文庫百冊、新書五十冊を読む」という目標を高校生のうちに達成しようという決心をしました。それからというもの、小遣いの大半を本を買うことに費やし、鉛筆で本に線を引くことを始めました。高3にはこの目標を達成したので一応著者のいう「読書力」を身に付けたことになります。目標があることで読書はよくはかどりましたが、百五十冊ではまだまだ足りないというのが感想です。大学では新書を千冊以上読みたいと思っているのですが…

◎この本の著者の斎藤孝氏は読書をすすめる熱血先生ならば、次に紹介するドイツの哲学者ショーペンハウアー(ショウペンハウエルとも)は、いわゆる“読書家”をせせら笑う冷笑家といったところでしょうか。

■読書について/ショウペンハウエル/岩波文庫(or光文社古典新訳文庫)

本を読めという人はいますが、その人の話を聞いているとどうやら「本を読むことが絶対的に良いことだ」と頭から決めてかかっている場合が多いように感じます。そこで疑問なんですが、読書が有益になる場合があるとしても、有害になる場合はないのでしょうか。僕の意見では、読書は毒にも薬にもなります。つまり、読書という行為はリスクを伴うということです。そのことに気付かせてくれたのは、この『読書について』でした。少し引用します。

「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた後を反復的にたどるにすぎない。」

「ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は次第に自分でものを考える力を失って行く…これこそ大多数の学者の実状である。彼らは多読の結果、愚者となった人間である。」

まあちょっと言い過ぎなところはあるかもしれませんが、「読書をすることが、筆者の主張を理解することだけにとどまるならば、あまり意味がない。」という言い分は納得できるのではないでしょうか。

こうして著者は自分で考えることをしない多読をなじる一方、「熟慮を重なることによってのみ、読まれたものは真に読者のものとなる。」と主張します。

さらに、

「読書に際しての心がけとしては、読まずにすます技術が非常に重要である。…良書を読むための条件は悪書を読まぬことである。人生は短く、時間と力には限りがあるからである。」

「多くの場合、我々は書物の購入と、その内容の獲得とを混同している。」

「『反復は発明の母なり』重要な書物はいかなるものでも、続けて二度読むべきである。」

といったように、読書に際しての心がけや注意が述べられています。

たった15ページにこれだけの箴言が書かれているんですからすごいものです。自分は賢いと偉ぶる学者はすでに学問を放棄したに等しいように、「自分はたくさんの本を読んだから人より優れている」と考えるような人は、実は読書から何も得ていないのかもしれない、そのようなことを考えさせられました。

◎最後に「熟慮を重ねる」読書をするために、役立った一冊を紹介します。

■読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門(単行本)/佐藤優/東洋経済新報社 (2012/7/27)

著者の佐藤優氏は大変な読書家で、自己流の「読書の技法」が紹介されています。限られた時間の中でいかにして「知力を強化」するための読書をするか、ということに重点が置かれ、熟読と速読の使い分けとそれぞれの方法、そして読書ノートの作り方について記されています。

その詳細が知りたい方はぜひ本を読んでください。ここではそれをまとめることはしません。実を言うと僕自身著者の方法は実行できていませんし、忠実に実行する気もないからです。別に僕はこの本が参考にならないと言いたいわけではなく、著者のやり方にヒントをもらって、自己流にやればいいと考えています。

僕の場合はこの本がきっかけとなって、高1の秋から読書ノートをつけ始めました。読み終わった本をそのままにせず、時間を空けて必要な箇所をノートに写し、自分の意見や感想を書き加えることにしたのです。こうすることで本の内容が定着しやすくなり、ノートをつけるときに自分であれこれ考えるようになりました。つまり、僕の読書ノートは読んだ本の復習と思索の場として機能することになりました。

また、一つの物事を知りたいときに、一冊の本で分かった気にならず、最低三冊は読んで、それぞれの本の記述を相対化することを学びました。この「汗牛足」では、毎回一つのテーマで三冊程度紹介しようと考えているのですが、実はそれもこの本にヒントを得ています。

◆あとがき

本についての本は結構あるので、ここに紹介したもの以外にいいものが多くあると思います。実際僕は他にも読んだのですが、ここでは僕が参考にして何らかの形で実行しているものを選びました。少しでも参考になれば幸いです。

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