汗牛足vol.10 ビッグデータと人工知能

読書

「汗牛足」はボクが大学生の時に発行していた本の紹介メルマガである。基本的に当時の原文のままなので誤りや内容面で古いところがあるかもしれないが、マジメ系(?)大学生の書き物としてはそれなりに面白いものになっていると思う。これを読んだ人に少しでも本に興味を持ってもらえたら望外の喜びというものだ。


汗牛足(かんぎゅうそく)vol.10 (2016.12.17発行)


◆今回は中公新書から。最近「シンギュラリティ」という言葉を聞いて、へえ、そんな考えもあるのかと思って手に取ったのがこの本です。人工知能やIT関連の分野には疎いので読みがあまいかもしれませんが、割に冷静に書かれたいい本ではないかと思っています。

■西垣通『ビッグデータと人工知能』中公新書(2016)

まずはタイトルに入っている「ビックデータ」と「人工知能」の二つの言葉が本書でどのように扱われているかざっと見てみます。ビックデータというのは文字通り膨大なデータですが、それに加えて内容や形式が多様であることや、高速でとめどなく生成されることが特徴として挙げられています。(Volume/Variety/Velocityで、「三つのV」というそうです。)たとえば、検索ワードから消費者の興味を絞り込んで「おすすめ商品」を表示したり、グーグル社が検索キーワードを分析して、米国の公衆衛生当局よりも早く、インフルエンザ流行の予測に成功した例などは、その利用例と言えるでしょう。

そんなビックデータと不可分の関係にあるとされているのが近年にわかに脚光を浴び始めた人工知能(Artificial Intelligence/AI)です。きっかけの一つはどうやら2012年に画像認識の国際競技大会で圧倒的勝利を収めた「深層学習(Deep Learning)」というアプローチの登場で、同年にはグーグル社のチームによる「グーグルの猫認識」が、ユーチューブの1000万の動画から自動的に猫の顔を認識することに成功して話題となったそうです。従来はコンピュータにネコの特徴を教えておく必要がありましたが、その特徴をコンピュータ自身が抽出するようになったところがミソなんですね。ド素人のぼくには深層学習とはどのような仕組みなのか細かいことはよくわかりませんが、どうやらニューラルネット・モデルという、脳の神経細胞を模擬したモデルを用いているそうで、このことが「深層学習は脳に近い」という印象を人々に与えることにつながったというのは重要だと思います。

現在実用化されている人工知能技術は、何らかの特定目的のための「専用人工知能」(「弱いAI」とか、「Intelligence Amplifier/IA」ともいう)であるのに対して、人間の知能のように様々な目的を達成できる人工知能を「汎用人工知能(Artificial General Intelligence/AGI)」(「強いAI」に属する)というそうです。「ドラえもん」なんていうのはAGIに相当すると思います。著者によると、先ほどの深層学習によってAGIができる、あるいはそのための道が開けたと考える欧米の人工知能の研究者は少なくないそうです。

AGIができると考える人のなかには、それらがじきに人間を超える能力を持つとする人がいます。未来学者のカーツワイルという人は、工学技術は指数関数的に向上するという信念のもとに、先のAGIどころか、「超人工知能(Artificial Super Intelligence/ASI)」という人間を超えた存在が登場する「シンギュラリティ(技術的特異点)」が2045年に到来すると予言しました。2005年の発表当初は相手にされなかったようですが、2010年代に入って注目され始めました。これは先ほどの深層学習によって「機会が自ら学習し、賢くなっていく」可能性が浮上したことと関係があります。

著者はこうしたAGIの登場やシンギュラリティ仮説に対して否定的な立場をとっています。理由の一つは、人工知能研究における二つの難問、「記号接地問題」と「フレーム問題」は深層学習では解決できないことです。これらの問題の詳細には立ち入りませんが、要は人工知能には状況に応じた臨機応変の対応ができないこと、問題解決はできても問題設定はできないということです。

また、著者によるとシンギュラリティ仮説の信奉者は徹底した「人間機械論者」だそうで、「人間=脳からの指令によって合理的に行動する機械」という人間観が支持されているといいます。先ほどのカーツワイルも「マインド・アップローディング」という、人間の脳の生理学底な特徴を全てスキャンしてコンピュータ基盤の上に詳細に再現することが可能になると言っており、そこから「人間が不死になる」というトンデモ発言が飛び出すのですが、これなどは「人間機械論」の好例ではないでしょうか。言い換えると17世紀デカルトの心身二元論をいまだに脱しておらず、シンギュラリティ仮説の哲学的背景は時代遅れでナンセンスだということになります。

このあたりはどうしてもITだけの話ではなく、本書では哲学的な問題や生物学、文化論といった著者の非専門分野にも話が及んでしまうので、いろいろ検討の余地はあるでしょうが、ぼくの感想としては、シンギュラリティ仮説は人間を超えた存在を説く割には人間とは何かについての考察が足りていないように思いました。

その後の著者の主張を追うと、次のようになります:

・マスコミ受けするトピックスが見つかったら騒ぎ立てて世間の耳目を集め、政府や企業から多大な研究予算を獲得する、シンギュラリティ仮説もそういうトピックスの一つである。

・シンギュラリティ仮説の政治的、経済的効果のみに注意するのではなく、まったく違う文化的背景から出てきた仮説の中身を根本からよく考えることが大切。そのためには広い視野をもつ必要があり、日本の若いIT専門家が文系を含めた広い見識を身につけて社会の指導的立場にたつことが望ましい。

・「AI」が支配する社会ではなく、人間と「IA」(知能増幅、専用人工知能)が互いに補い合う形で協働する社会を目指すべき。

高校では教科「情報」というのがあって、ぼくは何を習ったかあまり覚えていないのですが、近年表面的なIT機器操作に習熟している人が増えただけでほとんどの日本人はコンピュータの内部メカニズムについて初歩的な知識さえ持っていない、という著者の言葉はぼくの不勉強を指摘されたような気がしました。その一方でITエンジニアと理系研究者は目先の技術開発に追われて情報社会に関する文系の広い教養を身につけていないことを挙げ、理系の内容だけでなく文系を含めた情報学を21世紀の教養として学ぶ必要を説いていて、ごもっともだと思います。

◆あとがき

今回は「シンギュラリティ」という言葉から興味をもってこの本を読んで、ざっとした要約を書きましたが、これだけではとても正確に深く理解したことにはならないことを注意書きしておきます。そもそもある一つのテーマについて体系的に理解するには複数冊の書籍に当たる必要があって、一般向けの易しい本を一冊読んだくらいでわかった気になるのは二流どころか三流にもなりません。できればシンギュラリティ肯定派の本も併せて読み、比較検討すべきなのですが、ぼくの処理能力と時間の限界から今回はそこまでする余裕がなかったことを残念に思います。ともあれ、今回の読書でぼくは自分が何を知らないかを知ることができたのは幸いでした。

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