汗牛足vol.22 マクロな視点で500年ほどの歴史の流れがつかめる本

読書

「汗牛足」はボクが大学生の時に発行していた本の紹介メルマガである。基本的に当時の原文のままなので誤りや内容面で古いところがあるかもしれないが、マジメ系(?)大学生の書き物としてはそれなりに面白いものになっていると思う。これを読んだ人に少しでも本に興味を持ってもらえたら望外の喜びというものだ。


汗牛足(かんぎゅうそく)vol.22 (2017.10.14発行)


◆今回は(も)世界史に関する話題です。前回まで「16世紀の古典」を数回にわたって取り上げていましたが、その分、ぼくは西洋の16世紀に対して特に興味を持つようになりました。と同時に、(15~)16世紀というのはルネサンス、宗教改革、大航海時代という3つの重要な動きと重なっていたことを知り、後世への影響という点で、結構大事な時代ではないかと考えるようにもなりました。そのなかでも大航海時代の重要性について教えられたのがこの本です。

■川北稔(2001/2016)『世界システム論講義』ちくま学芸文庫

世界システム論の提唱者はアメリカの社会学者、イマニュエル・ウォーラーステインです。本書の著者、川北稔はこの世界システム論を日本に紹介した第一人者として知られているようです。本書はもともと大学の講義資料だったらしく、わりに読みやすいです。マクロな視点で500年ほどの歴史の流れがつかめるのが何よりの魅力だと思いました。

〇世界システム論とは?

世界システムとは、政治的には統合されていないが、大規模な地域間分業によって経済的に結びついているシステムのこと。世界システム論ではこの世界システムを中心に世界の歴史、ないし経済史が記述されていきます。なかでも、「近代の世界は一つのまとまったシステム(構造体)をなしているので、歴史は「国」を単位として動くのではない。すべての国の動向は、「一体としての世界」つまり世界システムの動きの一部でしかない」という見方は、(近代)世界システム論の特徴といっていいものです。

ここでは世界システム論の重要な概念として、「中核/周辺」、および「ヘゲモニー国家」を挙げておきます。まず「中核/周辺」についてですが、近代世界システムは、大航海時代の後半に西ヨーロッパ諸国を「中核」とし、ラテンアメリカや東ヨーロッパを「周辺」とする分業体制として成立したとされています。「中核」は工業生産を中心とし、この分業体制から多くの余剰を得られるのに対し、「周辺」は食糧や原材料の生産に特化させられることになりました。

また、近代世界システムの「中核」の中でも、他の諸国を圧倒する超大国が生じた場合、その国を「ヘゲモニー(覇権)国家」と呼んでいます。ヘゲモニー国家の例は、17世紀中ごろのオランダ、19世紀中ごろのイギリス、第二次世界大戦後からベトナム戦争前までのアメリカの3つだけです。

〇近代世界システム論の重要な帰結

世界各国を「先進国」と「発展途上国(後進国)」との二つに分けるという見方は一般的ですが、本書はこの2語は2つの前提を含んでいる、といいます。一つは、歴史があくまで「国」を単位として展開するという見方、もう一つはそれぞれの「国」が同じ一つの発展のコースに沿って競争をするのが近代の世界史だという見方です。この2つの見方を合わせると、「自国の発展のために努力し、成功した国が先進国であり、そうでない国が発展途上国である」と言えそうです。

ところが、世界システム論はこの2つの前提を受け入れません。発展途上国は、別のある国が、工業化し、発展していく過程(=「先進国」になる過程)そのものにおいて、その食糧、原材料生産地として「開発」されたからこそ、経済や社会のあり方がゆがめられ、「発展途上国」としての現在に至っていると考えます。つまり先ほどの「中核」が先進国、「周辺」が発展途上国にあたるわけですね。先進国が先進国たりえたのは、自ら努力してきたからだというよりも、自らを「中核」とする世界システムにおいて「周辺」を「低開発化」してきたことの裏返しである、というのにはそれなりの説得力を感じます。

ところで日本の明治維新についていえば、西洋文明を吸収して近代化を推進し、「富国強兵」を達成することが目標になっていたのでした。それにしても、「遅れた」日本の近代化を推し進め、西洋に追い付け追い越せと努力した、という見方は、もちろん当時からそのつもりだったのかもしれませんが、さきほどの「それぞれの「国」が一つの発展のコースに沿って競争をする」という見方そのものだといえるでしょう。世界システム論ではこうした立場をとらず、既にあった近代世界システムに日本も組み込まれた、と考えるわけです。もちろん、なぜ日本が数十年で西欧列強に組する「中核」としての地位を確立できたか、という問題は残りますが、日本の近代化は、日本単体でなされたことではなく、世界システム内の一つの動きだとすることはより自然な印象を受けます。

〇大航海時代の位置づけ

すでに少し書きましたが、近代世界システムの誕生は他でもなく大航海時代にあるとされています。大航海時代といえば「新大陸」を発見した(1492年)コロンブスをはじめ、ヴァスコ・ダ・ガマやマゼランなどがよく知られていますが、いずれもスペインとポルトガルの新航路開拓事業でした。とりわけ世界システム論において重要なのは、コロンブス以来スペインの植民地が急速に拡大したことです。前回ラス・カサスの本を紹介するのに、スペインの征服戦争と、征服地の先住民と土地を植民者に委託する制度(エンコミンダ制)について少し触れました。重要なのは、エンコミンダ制において生産されたのは銀や砂糖キビのような世界規模で通用する商品だったことで、言い換えれば近代世界システムの「周辺」としてインディアスは開発されていったということです。もっとも、先住民は急激に数を減らすので、アフリカから黒人が奴隷として連れてこられることになり、のちの「三角貿易」につながっていきます。

一方、16世紀の日本といえば戦国時代ですよね。西洋の大航海時代の動きはこのとき日本にも及んできたことはよく知られています。具体的には、1543年の種子島への「鉄砲伝来」に始まり、南蛮人と呼ばれたポルトガル人・スペイン人との貿易(南蛮貿易)が開始され、それにともなって、フランシスコ・ザビエルに代表されるイエズス会宣教師による布教活動が行われました。このあたりは世界システム論ではどのように捉えられているのでしょうか。

当時は東アジア、東南アジアにおいて中国を中心とした広大な交易圏ができていて、商業が発達し、成熟期を迎えていたそうです。日本はその東アジア交易圏の一部だった、というわけですね。東アジア圏では、ポルトガル人やスペイン人はすでにできていた交易圏に参入するだけだったこと、この交易圏では支配的な立場は望みえなかったこと、これはアメリカ大陸との相違点として重要です。とはいえ、ポルトガルは日本と中国のあいだの中継貿易などを通じて、かなりの利潤をあげていたようで、一方でそれまで中継貿易で栄えていた琉球王国などが打撃を受けたのでした。

〇その後は?

その後の近代世界システムの変遷もとても興味深いのですが、それをここにまとめることは到底できないので、興味のある方は一読を勧めます。世界(経済)史の大きな流れを描いてくれるので、なぜイギリスで産業革命が起きたのか、なぜアメリカ大陸の中でもとりわけアメリカが力を持つようになったのか、といった問いにも説明が与えられていて興味深かったです。また、オランダ、イギリス、アメリカの三国がそれぞれどのようにヘゲモニー国家となり、そしてその座から降りたのかも読みどころです。日本史を理解する上でも新鮮な見方が得られるのではないかと思いました。

ちなみに、同著者による『砂糖の世界史』(岩波ジュニア新書)も世界システム論に基づいて書かれた平易な本なので、こちらもおすすめ。

◆あとがき

最近、『新聞の嘘を見抜く』(徳山喜雄、平凡社新書)という本を読んで、図書館の新聞コーナーものぞくようになりました。著者によると、安全保障、憲法改正、原発の存廃など、国の重要政策をめぐって在京紙の論調が真っ二つに割れているそうです。具体的には、「朝日、毎日、東京新聞」と、「読売、産経、日経新聞」の二つのグループに分かれていて、安倍政権に対しては前者が否定的、後者が肯定的な立場です。実際図書館で読み比べると、確かに違いがハッキリしていましたね。どれか一つだけを読んで鵜呑みにしているようでは全然ダメだとよくわかりました。著者によると、双方のグループともに言いっぱなしで終わることが多く、議論の深化や、別の可能性の模索があまり見られないらしく、もちろん望ましくない状況ですよね。もう一つ驚いたのは、第2次安倍政権以来、それまでの慣例を廃して首相への単独インタビューができるようになったことで、「都合よく新聞を選び、もっともタイミングのいい時期に自己の考えや思いを訴えるシステム」が確立された、という話です。首相の〈読売新聞を熟読していただきたい〉発言もこうした背景があるのですね。また、テレビ局は新聞社との系列関係にありますが、それぞれのニュース内容は対応する新聞の論調と似通っているというのも、言われてみればそうなのか、と今さらながら気づいた次第です。

端的に言えば、安倍政権・自民党議員のメディアに対しての圧力や選別にも問題がありますが、メディア側にもそうした圧力に十分抵抗できているかというと大いに疑問です。面白いのは、国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」による世界各国の「報道の自由度ランキング」で、2017年4月の発表では日本は180か国中72位と案外低いです。もちろんランキングなので参考程度ですが、日本についてのコメントはあながち的外れではないと思いますね:

Japan
Reporters sans frontières assure la promotion et la défense de la liberté d'informer et d'être informé partout dans le m...

日本のランキングの推移は、Wikipediaの「国境なき記者団」のページにまとめられているように、ここ数年は年々低下傾向にあります。

メディアはいわゆる「民意」に大きな影響を与えるだけに、その責任は重大です。果たして日本のメディアはその責任に見合うほど健全なのか、われわれは何をもとにして判断すべきなのか、衆院選を前に考えさせられました。

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