汗牛足vol.26 人と、微生物と、抗生物質の奇妙な関係

読書

「汗牛足」はボクが大学生の時に発行していた本の紹介メルマガである。基本的に当時の原文のままなので誤りや内容面で古いところがあるかもしれないが、マジメ系(?)大学生の書き物としてはそれなりに面白いものになっていると思う。これを読んだ人に少しでも本に興味を持ってもらえたら望外の喜びというものだ。


汗牛足(かんぎゅうそく)vol.26 (2018.2.17発行)


◆今回はこれまでと趣向を変えてノンフィクションを紹介します。

早速ですが質問を3つ。あまり深く考えず最初に頭に浮かんだ答えで結構です。

質問1)地球でもっとも繁栄している生物は何ですか。

質問2)あなたはいくつの命を持っていますか。

質問3)最近、抗生物質を摂取しましたか。

答えは出ましたか?今回紹介するのはこの本。

■マーティン・J・ブレイザー,山本太郎(訳)(2015)『失われてゆく,我々の内なる細菌』 みすず書房 [Blaser, Martin J. (2014), Missing Microbes: How the Overuse of Antibiotic Is Fueling Our Modern Plagues, Henry Holt]

この本を一言で表すなら、抗生物質の過剰使用に警鐘を鳴らす本でしょう。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』の現代版といったところでしょうか。ぼくはこの本を読んでいろいろ認識を改めたところがあるので、以下ではそのうち3つについて書こうと思います。最初に書いた3つの質問に答えながら述べていくことにしましょう。

質問1)地球でもっとも繁栄している生物は何ですか。

ホモ・サピエンス・サピエンスの皆様こんにちは。地球でもっとも繁栄している生物?言うまでもなく私たち人間、というのが答えですよね。何といっても二足歩行ができて、道具と火が使えて、脳ミソがでかい、そして生態系の頂点に君臨し、いまや個体数は70億を超えているのですから。

確かに現在の地球において人間の存在は決して無視できない存在です。事実、人間は新しい地質時代をつくっているところでしたね!でも地球の歴史は46億年。この枠組みから見ると人間の存在はそれほどインパクトがありません。4.6×10^9年に対してホモ・サピエンス・サピエンスの歴史は2.0×10^5年ほどしかないのですから。むしろ地球上で3.0×10^9年もの間唯一の生命体であり、ホモ・サピエンスでさえ彼らなしでは生存できず、おそらくホモ・サピエンスが地球上から絶滅しても相変わらず生きながらえるであろう生物、彼らこそ「地球でもっとも繁栄している生物」の名に値するでしょう。その生物こそ細菌、より広くいえば微生物、あるいは単細胞生物です。地球上の生物質量(バイオマス)の大部分は微生物とも書いてありますがにわかに信じがたいですね。

まあ人間が微生物の存在を実際に目で見たのは17世紀オランダのレーウェンフックが初めてですから、そんな小さな生き物がいると分かってまだ400年も経っていないわけですね。(レーウェンフックはとても変わった人だった。クライフ『微生物の狩人』(岩波文庫)を参照。)地球の歴史は45億ないし46億もあるとされたのも確か第2次大戦後で、それまでは1億年説が有力だったとか。そしてキリスト教圏では聖書に基づいて天地創造が6000年前なんて真剣に議論されていたという話もあります。つまり、こうやって人間が地球の歴史においてごくごく最近のシミのような存在であることが分かるのに、言い換えれば人間中心主義の世界観から脱せられる科学的事実が出そろってくるようになるまで、だいぶかかったってことですね。(このへん、岡崎勝世(2013)『科学VS.キリスト教 世界史の転換』(講談社現代新書)がおもしろいです。)

質問2)あなたはいくつの命を持っていますか。

「1つ」という答え以外が真っ先に頭に浮かんだら、たぶんゲームのやりすぎでしょう。もちろん命の数はどの個体にも等しく一つのみであり、だからこそ生命は尊いものです。しかしあなたの体にはたくさんの微生物が棲んでいますよね。体表のみならず体内にもたくさんいる、そんな彼らももちろん一個体に一つの命があります。そしてあなたは彼らを体に棲まわせている。言ってみれば彼らの命もあなたは持っているわけですから、あなたの持っている命は決して一つではありません!

詭弁だ!と言わずに「あなたの体には微生物はどれだけ棲んでいますか」という質問に答えてください。ヒントは、人間の細胞の数が30兆くらいとされていることですかね。まさか人体の細胞より多くはないだろうと思うかもしれませんが100兆以上いるらしいです。類書に『あなたの体は9割が細菌』(コリン、河出書房新社、原題 “10% Human” )がありますが、このタイトルは人間の細胞を1とすれば棲んでいる微生物の細胞は9になるという意味でした。ちなみにその重さは約3ポンド、脳と同じくらいで、その種類は個人差がありますが1万種ともいいます。

しかし潔癖症で名高い日本人はこれを聞いて憤慨するかもしれませんね。微生物が1 kg以上も棲みついていると知ったら被害妄想を抱くのも無理はないでしょう。しかし細菌=悪であり、殺菌・抗菌=善という二分法は打破しなければなりません。ほとんどの常在細菌は人体に悪さをするというより、むしろ人体に不可欠なもの。いや、微生物は我々の臓器のひとつだと言っても過言ではありません。彼らは宿主にいろいろとしてくれているので逐一紹介しきれませんが、中でも最も重要な役割は免疫の提供だということを強調しておきます。

また、こうした常在菌がどのように人体に棲みつくようになったかという経緯も重要です。人間という種のレベルで言えば、人間とその常在菌は共進化の関係にあり、人間には人間特有の、人間に合った常在菌が棲みつき、逆に言えば常在菌の影響を受けながら人間という種も確立していったということです。ヒトがウシよりもサルに似ているのは、単にヒトの遺伝子がウシよりサルに近いというだけではなくて、ヒトの常在菌もウシのものよりサルのものに似ているからだ、と著者は表現しています。いやあ、こうなってくるとこの常在細菌は私たちと分かちがたい関係にあるというより、もはや私たち自身なのだと言いたくもなります。そう、だから「私は100兆以上の命を持っている」と言うのも一理あるでしょう?

また、私たち一人一人がいかに常在菌を獲得するかに目を向けると、私たちは母体内ではほぼ無菌状態で、誕生時以降に母親や身近な人々の細菌を受け継いでいくようですね。とくに腸内細菌については3歳ごろには大人とほぼ変わらない構成になるらしく、常在細菌を受け継ぐという観点からこの幼少期はとくに重要みたいです。こうやってこれまで人類は何万年と代々常在細菌を受け継いできたということ、私にもあなたにも先祖から受け継いだ常在菌が今日も共に生活しているということ、ぼくはこういう話を聞くとワクワクする質なのですがみなさんはどうでしょうか。

ところがホモ・サピエンスは数十万年の歴史の中でごく最近になって未曽有の変化に直面しています。一言で言えば、体内の常在細菌の多様性が低下してきている、あるいは、宿主と常在細菌の関係が悪化しているようなのです。その最大の原因は何でしょうか?それこそ抗生物質とその過剰使用であると言えるでしょう。

なお、もう一つ原因を挙げるならそれは帝王切開で、というのも生まれてくるときに胎児が母の膣から微生物を受け取ることができないからだそうです。もちろん帝王切開は必要な時には母子の生命を守るためになされるべきですが、まあ現実にはいろいろな事情から緊急の必要性がなくても帝王切開があえて選択されることがあるらしく、ブラックな面も……今回はこれ以上立ち入りませんが、もし皆さんが親になるときが来たらぼくが書いたことを思い出して、自分でよく調べてください。たぶん、安易な帝王切開はなされるべきではない、という結論に達することでしょう。

質問3)最近、抗生物質を摂取しましたか。

冗談抜きで「はい」の方にはお見舞い申し上げます。変なこと聞いてすみませんでした。多くの人はきっと「いいえ」ですよね、そうあってほしいものです。しかしぼくが「服用」ではなく「摂取」という語句を用いたことに仕掛けがあると気づいた方もいるかもしれませんね。厳密に言えば、地球上の多くの人間は、日常的に抗生物質を意図せず摂取している、これが答えだと思っています。日本人の場合は抗生物質にまったくさらされない生活を送っている方はおそらくいないでしょう。どうしてこんなことになったのか説明が必要ですね。

そもそも抗生物質の歴史はそれなりに面白くて、スコットランドのフレミングが1928年にたまたまペニシリンを発見したことは有名ですね。でも彼は実用化できず(アオカビからたくさんペニシリンを取るのは難しかった)、しばらく忘れられていました。しかし必要は発明の母とはよく言ったもので、第2次世界大戦の時代になると、兵士の感染症による死亡を防ぐために殺菌効果のある薬剤の開発が喫緊の課題になった。そこでイギリス、オックスフォード大学の研究チームがこのペニシリンに目を付け、遅くとも1944には生産量を増やす方法を開発していたようです。とすると、あの大戦がなければ抗生物質の開発、実用化はもっと遅れたかもしれませんね。その点原子爆弾と似ていますし、効果が絶大だったという点でもしかり。戦争って人間の創造力をいかんなく引き出してくれるんですね……。

抗生物質はまさに奇跡の薬でした。これで多くの感染症が治療できるようになりましたし、外科手術も安全にできるようになった、どれだけ多くの人命が救われたことでしょう!そしてこの絶大なメリットに比してこれといった副作用は認められなかった。「20世紀医学の最大の収穫」(川喜田愛郎)と称されるのもうなずけますね。

しかし抗生物質の欠点については皆さんもよくご存じでしょう。そう、それこそかの抗生物質耐性菌の出現ですよね。耐性菌の出現は原理的にどうしても起こるもので、実際に人間が抗生物質を使用する前から抗生物質もその耐性菌も存在していたわけです。しかし効果があって副作用は大して認められないとなると、盛んに使われるようになり、それは耐性菌の出現を促し、つまるところその抗生物質の有効期限を縮めることになりました。これが一般に言われている抗生物質の過剰使用を控えるべき理由でしょう。

抗生物質のもう一つのデメリットは人間の体内の常在菌の生態系を乱してしまうこと、体内の微生物の多様性が損なわれるということです。このことが具体的にどのような悪影響を及ぼすのかについては、まだまだこれから調査が必要でしょう。しかし我々が先祖から受け継いできた微生物の一部が絶滅していくということが、何の問題ももたらさないと考える方が不思議ではないでしょうか。常在菌の重要な役割は免疫の提供だと書きましたが、抗生物質投与は人間を感染症に対してより脆弱にしていることはかなり確からしいです。また、著者ブレイザーは免疫系の機能不全による現代病の原因の一つは常在菌の攪乱にあるのではないかと考え、本書でも多くの実験や研究が紹介されています。喘息、肥満、胃食道逆流症、若年性糖尿病、食物アレルギーといった現代の疫病は、もしかすると抗生物質の過剰使用、とくに乳幼児への抗生物質投与が関係しているのかもしれません。

話を戻して、どうして我々が日常的に抗生物質にさらされているのかと言えば、それは抗生物質が食べ物に含まれている可能性が大いにあるからです。とくに肉、牛乳、卵、そして水道水、養殖場で育った魚類や甲殻類(エビなど)に微量の抗生物質が含まれていると思われます。なぜこんなことになったかというと、抗生物質の「成長促進効果」が利用されているからです。

アメリカのグロテスクな事例を紹介しましょう。アメリカで販売されている抗生物質のじつに70~80%は、人間ではなく家畜に投与されています。なぜなら、家畜の餌に抗生物質を加えることで、5~15%体重が増えるから、低コストで食肉の生産量を増やせるからです。(それなら人間も抗生物質でメタボになると考えるのは自然では?)その詳しいメカニズムは未解明のようですが、抗生物質そのものが原因ではなくて、抗生物質によって常在菌が乱されることがより本質的な原因であると確かめられています。

もちろん家畜への抗生物質投与は2つの弊害をもたらすことになります。一つは耐性菌の出現、もう一つは抗生物質の食品への混入です。実際、アメリカではスーパーの食肉から耐性菌も抗生物質も検出されています。なお、こうした成長促進目的での抗生物質の使用はEUなどでは禁止されていますが、アメリカや日本など多くの国では禁止されていません。

また、肉類を食べないベジタリアンなら無縁の問題かというとそうでもないらしく、とくに家畜の糞を肥料として用いた場合、糞に含まれる抗生物質の一部が農作物に吸収される可能性もあります。結局のところ、現代文明と無縁の奥地で自給自足の生活でも送らないかぎり、ごく微量でしょうが抗生物質と日常的に触れることは避けられなさそうですね。その蓄積が人体にどのような影響をもたらすのか、今は神のみぞ知るというところでしょうか。

おわりに

この本はぼくに3つの認識をもたらしたと最初に書きましたね。第一は私たちが普段知覚しない微生物の存在がいかに大きいか、人間の時代が微生物に比していかに短いかということ。第二に人間はそもそもはじめから微生物と共に進化してきたこと、常在菌が人間とっていかに不可欠な存在であるかということ。第三に現代においてこの常在菌が危機に瀕していること、それが免疫系の機能不全を引き起こしかねないこと、とくに抗生物質の過剰使用は深刻な問題であること。

こうしてあくまでぼくの目線からの紹介をしたので、本書について網羅的に説明したわけではありません。実験の例には一つも触れていませんし、著者の提示する解決策(特に個人レベルで何ができるかという点でとても大事な個所なのですが)にも言及する余裕がありませんでした。また、素人のぼくの記述にはおそらく不正確なところやあいまいなところがあるでしょうから、あまりうのみにせず、興味のある人はぜひ読んでみてほしいと思います。

最後に著者の「悪夢」、すなわち「抗生物質の冬」についての一節を引用して締めくくりとしましょう:

「私たちは今、ひとつの大きな村に、何十億人もの人と一緒に暮らしている。そのうちの無数の人々が、壊れた防御機構とともに暮らしている。疫病がやってくれば、それは速く、そして密に広がる可能性がある。川が氾濫し自然の堤防を越えても、避難場所もないような事態だ。こうした危機は、私たちの放蕩な抗生物質使用が増大させてきた。そのことはいずれ振り返ってみれば了解されるだろう。糖尿病や肥満といった問題も心配だが、私が警告を鳴らす最大の理由は、この抗生物質の冬への恐怖なのである。」

◆あとがき

ぼくは高校時代、理系の日本史選択だったために地理と世界史が勉強できなかったことがずっと心残りだったのですが、最近スタディサプリという塾講師の講義がネットで見られるサービスを見つけたので受験生気分で受講しています。月980円と新書一冊分ほどの値段で全科目が見放題とはかなりリーズナブルですね。(ただし地学がないのは残念。)とくに世界史の講義がおもしろくておもしろくて、この春休みは世界史と地理の勉強であっという間に終わりそうです。

コメント