汗牛足vol.5 科学リテラシー入門

読書

「汗牛足」はボクが大学生の時に発行していた本の紹介メルマガである。基本的に当時の原文のままなので誤りや内容面で古いところがあるかもしれないが、マジメ系(?)大学生の書き物としてはそれなりに面白いものになっていると思う。これを読んだ人に少しでも本に興味を持ってもらえたら望外の喜びというものだ。


汗牛足(かんぎゅうそく)vol.5 (2016.7.16発行)


◆お久しぶりです。前々回に『科学哲学への招待』という本を紹介しましたが、それからそれに関連するような本をいくつか読んだので、今回はその中から3冊を選んで紹介します。

■戸田山和久『「科学的思考」のレッスン』NHK出版新書(2011)

大学生協の書評誌に紹介されていることもあって読んでみました。日本「市民」に対して、科学リテラシーやクリティカル・シンキングを身につけてもらおうという啓蒙への意気込みが感じられる好著だと思います。

この本は東日本大震災の年に出版されました。この震災における福島第一原子力発電所の事故は、科学(技術)がすべての問題に対して対処することはできないことを如実に示すことになりました。つまり、現代の科学技術が関係する問題だからといって、その分野の専門家だけに任せていてはいけない、ということです。したがって、

1) 科学技術に関する社会的な意思決定には市民が参加する場を設けること

2) そのためには市民もそれ相応の科学リテラシーを持ち合わせていること

が必要である。――これこそが本書の根底にある問題意識だといっていいと思います。そして本書の大半はこの科学リテラシー(≒科学的思考)を獲得してもらうために費やされています。

では科学リテラシーってそもそもどんなものか、この本では2段階に分かれています。言ってみれば〈基礎編〉と〈実践編〉といった具合です。

〈基礎編〉メタ科学的概念を身につける

少なくとも高校までで習ってきた科学は科学そのもの、つまりこれまでの科学の発見、整理の成果についてであって、科学とはどんな学問か、どんな性格を持っているのか、どんな風に進展していくのか(進展させられるのか)、といったことは直接教えてくれませんでした。その教わらなかった「メタ科学的概念」が科学リテラシーの基礎になります。ここはけっこうおもしろくて、たとえばアメリカにおけるダーウィンの進化論への根強い反対(現在進行形)を取り扱ったところなどは科学が何を目指しているのか考えさせられました。

〈実践編〉≒クリティカル・シンキング

原発後、放射性物質に汚染されたホウレンソウは「健康には直ちに影響はない」という主張を取り上げた新聞記事を題材に、科学リテラシーを具体的に解説するのが実践編です。ざっくりいうと要はクリティカル・シンキングなんだろうと思いますが、実例を挙げて実践できるのがありがたいところで、ベクレルやグレイ、シーベルトのちがいはぼくはここで初めて知りました。

みなさんは「科学とは物事の真理を明らかにする学問である」と聞いたらどう思うでしょうか。この一文はほかの本で読んだのですが、ぼくはこの本を読んで「そもそも何を真理というのか」という疑問が即座に浮かぶようになりました。もっと言えば、この主張をする人は「真理か、そうでないか」にこだわってグレーゾーンを認めていないのではないかと考えるようになりました。グレーゾーンを認めず、両極のどちらかに強引に分類しようとする思考法は二分法といって、アタマの負担が少なくて楽な思考法ですが、詭弁の常套手段であり、健全な科学の発展を阻害するものだ、ということがこの本でよくわかりました。これはこの本で学んだ「科学リテラシー」の一例ですが、他にも章ごとにまとめや練習問題までつけて一般人向けに平たく書かれているので、おすすめしておきます。

■レイチェル・カーソン『沈黙の春』青樹簗一訳 新潮文庫(1962/1964)

ぼくはつい半年ぐらい前まで「沈黙の春」と「アラブの春」を混同してこの本は中東のややこしいことが書いてあるのかと、とんでもない誤解をしていました。この本が農薬の使用に警鐘を鳴らした本だと知ったのはようやく池上彰の『世界を変えた10冊の本』(文春文庫)を読んでからです。農薬によって環境が破壊され、本来にぎやかなはずの春が沈黙している……なるほどそういうことだったのかと遅まきながら知った次第です。ここでは環境問題や生物多様性を世に問うた先駆的な著作として紹介することにします。

この本は実に数多くの事例を挙げて、農薬がいかに生態系を傷つけ、土壌を汚染し、人間自身を蝕み、そしてなおかついかに無思慮に、デタラメに使われてきたか、雄弁に語られています。いくらか個人的に疑問もあるのですが、やはり生態系全体のなかでの人間の立ち位置や、将来世代にどんな地球を引き継いでほしいのか、といったことを考えさせられましたし、人間のエゴイズムとその矛盾、愚かさを垣間見る思いがしました。ぼくが農薬の危険性について意識するようになったのも、今さらながらようやくこの本を読んでからでした。

話はそれますがぼくの弟はカタツムリを飼っています。エサとして野菜の切れ端をあげるのですが、野菜の種類よりもむしろどこで買った野菜かによって明らかに食いつきが違うようです。つまり、スーパーでフツーに並んでいる野菜よりも、無農薬をうたったもの(地元野菜など、概して不揃いな印象がある)ほうがカタツムリたちに人気があります。好物のキュウリにしても、食べないものは何かが違うのか一口も手を付けないそうです。もちろん、だからといってそれは農薬が原因だとは言い切れませんが……。しかし見かけだけきれいで整った野菜ほどじつは別の意味で汚れているのではと思えてきますね。

著者レイチェル・カーソン(1907-1964)はアメリカの農場経営者の娘として生まれました。この本の初版は1962年になります。地球環境について当時はさして問題にされていなかったこともあって大きな反響を呼んだらしく、一躍ベストセラーになって、ケネディ大統領も言及し、またもちろん化学業界は猛反発したそうです(前述『世界を変えた10冊の本』より)。現在でもダイオキシンや環境ホルモン、放射能まで、科学技術の成果であると同時に害毒でもある問題は多く残されています。

■米沢富美子『人物で語る物理入門(上)・(下)』岩波新書 (2006)

本当は科学史の本を取り上げたかったのですが、どうも手ごろなものが見当たらなかったので、物理の歴史に絞ることにします。といってもこの本は物理の歴史がメインではないかもしれませんが。しかしぼくが久々にワクワクさせてもらった愉しい本として紹介させてください。

書名に「人物で語る」とあるように、物理史上重要な人物を中心に物理学のざっとした流れがつかめます。それが功を奏して、物理が得意でもなく、物理史に明るいわけでもないぼくでもやさしく読めました。物理学者のちょっとした伝記集をよむ気分も味わえますし、その人の業績や後世への影響も簡単にわかるし、なによりいいことは著者が楽しんで書いたことで、この著者の物理愛にぼくは感染してしまって物理がすっかり好きになりました。(有名な「ファインマン物理学」を原書で読破したいという欲求が突如起こってきたくらいです。ちなみに英語でよければ実はネットでも読めます;http://www.feynmanlectures.caltech.edu/

せっかくですから一人ぐらい紹介します。たとえばジョン・バーディーンという人が取り上げられています。ぼくはこの本を読むまで名前も知らなかったのですが、何をした人かというと、トランジスタの発明と超電導現象の理論的説明をやったひとだそうで、そのそれぞれに対してノーベル物理学賞を受賞したそうです。(物理学賞を2度受賞したのはこの人だけ。)1回目のノーベル賞授賞式に学期中の子どもたちを連れてこなかったことをスウェーデン国王に叱られると、「この次は必ず連れて参ります。」と約束したそうですが、本当にその約束を果たしたのですからすごいものです。しかも、トランジスタから超電導に移ったこともすごいもので、超電導のメカニズムの理論的解明はアインシュタインや、ボーア、ハイゼンベルク、それからディラックやファインマンといった名だたる物理学者たちが挑戦しては失敗している分野ですから、なんと大胆なチャレンジなんだと思ってしまいます。ほかの二人と三人のチームを組んでやるのですが、この仕事にどんな人が必要かを見抜いて引っ張ってくるところも偉いところで、人を活かすことにも優れているなあと思いました。超電導現象が発見されてから半世紀近く経って完成された彼らの理論は、三人の頭文字をとって「BCS理論」と呼ばれているそうです。こんな天才はどこか常軌を逸したところがあるに違いない、と思うのが普通ですが、本書の伝えるところによると、「誠実で律儀で温厚で、家族を愛し、週末にゴルフを楽しむ」フツーのお父さんタイプだったらしく、それであんまり有名でないのかもしれませんが、興味深い人だなあと思います。

こんなふうに、なんだかんだ物理学者の人となりを伝えてくれるのが本書の魅力です。他に10人以上取り上げられているのでよかったら読んでみてください。

◆あとがき

一日一冊主義という言葉があって、最近はこれをやっているのですが、あんまりアタマに内容が残らない気もしています。もう一つの方法は、複数冊をそれぞれちびちび読んでいくもので、日数をかける分だけ記憶に残るのはいいのですが、流れがつかめなかったりして、スピードが落ちます。速読するなら立って読むのが一番で、熟読(熟睡)するなら座って読むことです。音楽を聴きながら読むと概してスピードが遅くなることもわかってきました。電車内読書も試行錯誤が進んだところで、夏休みを迎えることになりそうです。

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