汗牛足vol.9 読んでいない本について堂々と語る方法

読書

「汗牛足」はボクが大学生の時に発行していた本の紹介メルマガである。基本的に当時の原文のままなので誤りや内容面で古いところがあるかもしれないが、マジメ系(?)大学生の書き物としてはそれなりに面白いものになっていると思う。これを読んだ人に少しでも本に興味を持ってもらえたら望外の喜びというものだ。


汗牛足(かんぎゅうそく)vol.9 (2016.11.19発行)


◆読書の秋ということで読書にまつわる本を一冊紹介します。

■ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』大浦幸助訳 ちくま学芸文庫(2007,2016)

以前は単行本で少々値が張っていたのでつい読まずにいたのですが、先月文庫化されたのでこれを機に読んでみました。著者は精神分析家なので、読書という行為の解釈も、多分に精神分析学が反映されていることをはじめに断っておきます。精神分析というのはかのジークムント・フロイトによって創始され、れっきとした一つの学問分野となっていますが、ぼくはかなりうさんくさいと勝手に決めつけています。しかし無意識の深層から説明するその手法はかなり魅力的で、おもしろいことは確かです。

本書の構成は、1章で本を読んでいないというときにどのような段階があるのか考えた後、2章で本について語る状況の代表的なものを分析して、3章で「読んでいない本について堂々と語る」ための心構えが示されます。どの章も4節ずつあるのですが、それぞれに文学書やエピソードが絶妙に入っていることは特筆すべきでしょう。例えば漱石の『吾輩は猫である』の苦沙弥先生を訪ねるホラ吹き美学者迷亭のでっち上げや、『草枕』の主人公の「おみくじを引くように、ぱっと開けて、開いたところを漫然と読む」方法を引用してきて論を展開していくのですが、そのやり方が秀逸です。そこで以下では第1章から、ムージルの小説『特性のない男』と、モンテーニュの『エセー』を取り上げた箇所を中心に見ていきます。

『特性のない男』という小説はぼくは知らないですし、たぶん今後よむこともないでしょうが、この本の脇役の図書館司書は極めて興味深い人物です。この司書は、図書館の何百万という蔵書を的確に把握していて、その秘訣を「一冊も読まない」ことだと言い、熱を込めてこう言います:「内容にまで立ち入っては、司書として失格です!そういう人間は、絶対に全体を見晴らすことはできないでしょう!」

読むのはせいぜい書名と目次だけなのです。そこで著者はこのようにいいます:「教養があるとは、しかじかの本を読んだことがあるということではない。全体の中で自分がどの位置にいるかがわかっているということ、すなわち、諸々の本は一つの全体を形づくっているということを知っており、その各要素を他の要素との関係で位置づけることができるということである。」

「読書バカ」と形容される人々、つまり他人の書物や思想にのめり込んで本の奴隷と化した人々とは、この司書は対極に位置しています。それは単に本とは無縁の世界にいて読まないというのではなく、本と積極的に関わるからこそ本を読まないという逆説なのです。司書のように徹底して本を読まないのは困難ですが、現実路線として「流し読み」は、他人の書物と適度な距離をおいて、ある程度内容も探りつつ、他の書物との関係づけを行うのに有用な手段だと評価できます。本はすべからく始めから終わりまで順に読まねばならないということはなく、むしろ「一冊の本の内部にあって、自分がどこにいるかをすばやく知る」能力が発達しているほど、通読の必要はないと著者は言うのです。

モンテーニュの『エセー』は有名な古典ですが、ここで忘れっぽいモンテーニュの読書と著作活動の実態を見てみます。どうやらモンテーニュが読書によって得るのは、「自分の判断力にとって有益と思われたこと、自分の判断力が吸収することができた議論や観念」だけであって、「著者は誰だったか、本のどこに書かれていたか、字句はどうだったか」ということはすぐに忘れてしまうそうです。しかしそこで困ったことが起きます。読書によって得た断片的な記憶を後から取り出すとき、はたしてそれは自分独自のものだったか、他人の本に書いてあったことなのかわからなくなるのです。はたまた、他人が自分の本の記述を引用していても、それがかつての自分によって書かれたものだとは夢にも思わないという事態が生じます。本を読むと新たな断片的な記憶事項が生じますが、そのたびに自分の中の記憶断片が攪乱されて、もともと誰が言っていたのか、わからなくなってしまうのです。こうして著者は「読書は、何かを得ることであるよりむしろ失うことである」と言います。

ここまで見てくると、『読んでいない本について堂々と語る方法』という不遜なタイトルも理解できるのではないでしょうか。著者が言うことには、読んだことがなくても本について誰かが話しているのを聞けば、その本について堂々と語ることができるそうです。そこで、ここまで読んでくださったみなさんが『読んでいない本について堂々と語る方法』という本について語れるようになったなら、一応この拙い紹介文も役割を果たしたと言えます。

◆あとがき

タイトルでは「読んでいない本」になっていますが、これを「映画」や「音楽」に変えても問題ないでしょう。「話したことのない人について堂々と語る」だったらたいていの陰口屋が立派に実行しているかもしれません。「専攻していない学問について堂々と語る」というのはどうでしょうか。いろんな学問のなかに自分が主にする学問を位置づける、なるほど重要です。もっと一般化すれば、全体の中で自分がどの位置にいるのかわかっている、ということになるでしょう。そのためには、「全体」をざっとでいいから知っておく必要があります。その「全体」というのは言い換えれば「世界観」と表現できると思います。自分の世界観を広げるためには、あまり細部にのめり込まず、距離をおいて全体を見通すこと、そのヒントとしてこの本を読むこともできるかもしれません。

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