汗牛足Bは本の紹介を行う「汗牛足(かんぎゅうそく)」のBusiness版である。純粋なビジネス書に限らず、”社会人として読んでよかった本”くらいの緩い範囲で選書して紹介していきたい。
今回は「行動経済学の主要理論を初めて体系化した入門書」を取り上げます。かなり網羅的に行動経済学のトピックスが学べる本です。
汗牛足B vol.3 (2024.5.20発行)
・相良奈美香 (2023)『行動経済学が最強の学問である』SBクリエイティブ
★本書を読んでわかること
- 行動経済学を学ぶメリット
- 行動経済学の主要理論
- 行動経済学のビジネスへの応用事例
★サマリー
行動経済学とは何か
伝統的な経済学では人間は常に合理的に行動するものとされているが、実際は非合理な行動をすることから、非合理である人間の心理を加味した行動経済学が誕生し、20世紀半ば以降に急速な発展を遂げた。行動経済学の本質は人間の非合理な意思決定のメカニズムを解明する点にある。
多くの企業は人の非合理な意思決定と行動のメカニズムを知り、競争相手より優位に立とうとして行動経済学を活用している。行動経済学を学ぶことで企業のサービスの裏が分かるようになる。行動経済学を学ぶ理由は次の2点。
- 消費者側として、企業の戦略に乗せられないように賢くなれる
- 企業側として、顧客にサービスや商品をより多く楽しんでもらうための戦略家になれる
行動経済学は新しい学問であるがゆえに体系化されていない。人間の非合理な意思決定には「認知のクセ」「状況」「感情」という3つの要因があり、行動経済学の理論はこの3つに分類することができる。
認知のクセ ―脳の「認知のクセ」が人の意思決定に影響する
システム1/システム2:人間の脳は直感的で瞬間的な判断をする「システム1」と注意深く考えたり分析したりと時間をかけた判断をする「システム2」の2つの思考モードを使い分けている。人間の不合理な意思決定にはシステム1が大きく関係しているが、人がシステム1を使いがちなのは次の6つの場面である。
- 疲れているとき
- 情報量・選択肢が多いとき
- 時間がないとき
- モチベーションが低いとき
- 情報が簡単で見慣れすぎているとき
- 気力・意志の力(ウィルパワー)がないとき
アテンション・エコノミー:「高度情報化社会では人々のアテンション(関心)が通貨になり、関心を集めることが価値を生む」こと。豊富な情報は注意の貧困を生み、システム1を使ってしまいがちになることに注意が必要である。
非流暢性:あえて「ひっかかり」を作ることでシステム2を働かせること。
e.g. 文章のフォントを途中で変えるとそこでひっかかってシステム2が作動する。
メンタル・アカウンティング:同じお金でもどのように取得し、どのように使うかによって、自分の中での価値が異なってくること。
e.g. 食費を使いすぎたが交際費が少なかった場合、全体としては交際費分を食費に回せば最適化されるのに、食費を一定額に収めようとしたがる。
自制バイアス:自分の自制心の強さを過大評価すること。誘惑に負けないように意志の力で頑張るより、誘惑に弱いことを認識し、誘惑を遠ざける仕組みづくりが大切。
e.g. 間食をやめるため、家に菓子を置かず、どうしても食べたいときは1つ買えるだけの現金をもって買いに行くようにする。
サンクコスト:一度何かを始めたら、成果が出ていなくてもそこに費やした時間・お金・労力を取り戻そうと継続してしまうバイアス。
機会コスト:サンクコストにとらわれて継続することで、他にもっと成功につながることができるはずなのにそれができなくなる機会損失。
ホットハンド効果:ある事象が連続して起こると、次も同じことが起こると思い込んでしまう認知のクセ。バスケットボールでシュートを連続して決めている選手は次も決めてくれるはずだと考えがちであることに由来。ビジネスでも必ずしもこれまで成果を挙げている人に優先的に仕事を任せることが得策であるとは限らない。
サラダマック:日本マクドナルドが大規模なアンケート調査をもとに2006年に発売したヘルシーなマックで、失敗に終わった。消費者は実際にはシステム1を使って購入していたのに、システム2によるアンケートの回答をもとにマーケティング戦略を立てたのが誤り。
フット・イン・ザ・ドア:受け入れられやすい小さなお願いから始めた方がいきなりお願いするよりも受け入れられやすいこと。
確証バイアス:何かを思い込んだら、それを証明するための証拠ばかり集めてしまうバイアス。アメリカの会議では「悪魔の代弁者」という役回りを設けて批判的な意見を述べさせることがあるが、これは確証バイアスの是正に有効。
心理の錯誤効果:「絶対にあり得ない」と思っているのに、繰り返し見聞きすることで信じてしまうバイアス。回避するには、最初に「おかしい」と思った時点でできる限り真偽を検証して怪しいものは排除することが有効。
身体的認知:身体から脳に情報が伝達される際の認知のクセ。
e.g. 意図的に笑顔を作ることで実際に楽しくなる。
概念メタファー:抽象的な概念を具体的なもので比喩することで、人が理解しやすくなる認知の枠組み。
e.g. 時計が垂直に映っている商品写真の方が権威性に繋がり、高級時計の広告には効果的。
双曲割引モデル:近い将来を考える際は、少しの時間の差も気になるが、遠い将来を考える際は時間の差が気にならないこと。
解釈レベル理論:直近の事柄については現実的かつ具体的に考えるが、1週間後、1カ月後、1年後と先のことになるにつれて思考が抽象的になること。
計画の誤謬:計画において所要時間や予算を甘く見積もって失敗すること。全体にかかる時間を予測するのではなく、計画を細かいタスクに分けて個別に所要時間を予測することが有効。
快楽適応:幸せだと感じることをずっとしていると、徐々に幸福度が減退し一定のラインに戻ってきてしまうこと。幸せに思うことは一度にやらず小分けにして、嫌な仕事は細切れにせず一気に片付けるのがよい。
デュレーション・ヒューリスティック:サービスの内容よりもサービスにかかった時間で評価してしまう認知のクセ。サービスを提供する側としてはあえて時間をかけることが有効である場合がある。
状況 ―置かれた「状況」が人の意思決定に影響する
単純存在効果:買い物をするとき、周りに人がいないと安いものを買い、周りに人が一人でもいると無意識に高いものを買う傾向があること。
系列位置効果:初めに得た情報が印象に残り強い影響を与える「初頭効果」や、最後の情報が意思決定に大きな影響を与える「近接効果」など、情報の順番によって記憶の定着度合いに差が出るという理論。採用面接などでも最初と最後が印象に残りやすく、間を置かず決定されるなら近接効果、間をおいて決定されるなら初頭効果が優位になる。
過剰正当化効果:内発的動機で取り組んでいたところに金銭的報酬などの外発的動機が用意されることでモチベーションが下がること。
情報オーバーロード:多すぎる情報が非合理な行動を誘発したり、意思決定を妨げたりすること。マイクロソフトの研究によると受信メールによって仕事を中断すると、元の仕事に戻るまで平均24分かかる。
選択オーバーロード:選択肢が多すぎることが意思決定の妨げとなること。逆に、選択肢が少なすぎると人は興味を持たない。どうでもいいことは選択せずに済ますかテキトーに選択することで選択オーバーロードに陥る可能性を減らせる。
選択アーキテクチャー:選択肢をどのように設計したらよいか最適な方法を探る概念。アルゴリズムを用いたおすすめ商品の提示、ディシジョンツリーを用いたプランの提示など。
ナッジ理論:「おすすめ」などにより”軽くつつく”ことで選択を誘導すること。
プライミング効果:提示されたプライマー(刺激)によって、人の行動が変容すること。
e.g. フランス風のBGMを流すとフランスワインが売れやすくなる。
フレーミング効果:同一の内容であっても何を強調するかによって受け手の意思決定が変わること。
e.g. 「赤身75%」と表示された肉の方が「脂質25%」と表示された肉より評価が高い。
プロスペクト理論:意思決定において利得を強調されると確実性を求めてリスクを避ける一方、損失を強調されるとリスクを求める傾向になること。
単独評価/並列評価:マーケティングリサーチにおいて自社商品のみの単独評価を行いがちであるが消費者は他社製品も含めた並列評価を行っているため、並列評価を前提に価格設定やプロモーションを行うべき。
おとり効果:誰も選ばないような選択肢をあえて追加することで選択させたい選択肢を選ばせること。あえて高額な選択肢を作ることで比較対象ができ、主力商品が売れやすくなる。
現状維持バイアス/デフォルト効果:変更することは負荷が大きいため、現状維持が優先されがちであること。マーケティング上は、相手に選択してほしいものをデフォルトにしておくことが有効。
アンカリング効果:最初に提示された数値などが基準になり、そのあとに続く者に対する判断が歪められること。
e.g. 裁判官が連続万引き犯に下す刑期は直前に振ったサイコロの目に影響される。
キャッシュレス効果:現金よりもカード決済の方が散財しがちであること。
パワー・オブ・ビコーズ:何か人にお願いするときに理由を添えるだけで受け入れてもらえる可能性が上がる。このとき、その理由はほとんど何でもよい。
自立性バイアス:自分の意思で決めたと思い込みたい性質。相手にお願いするときに単にお願いするのではなく手伝う内容を選ばせたほうが前向きに行動する。
感情移入ギャップ:未来の自分は異なる状況に置かれていることを想像できず、楽観的な理想像を思い描くこと。
e.g. 朝の冷静な状態(システム2が優位な状態)で夜勉強しようと思っていても、夜の疲れた自分(システム1が優位)にはできない。
感情 ―その時の「感情」が人の意思決定に影響する
ディスクリートエモーション/アフェクト:前者は喜怒哀楽のようなはっきりとした感情、後者はほんの一瞬よぎる微妙な感情。感情が意思決定に与える影響を考える際はより影響を与える頻度の高いアフェクトを理解する必要がある。
アフェクト・ヒューリスティック:アフェクトに影響されて非合理な判断をすること。
e.g. 人に助けを求めるときは「晴天で気持ちがいいですね」など、アフェクトに関する会話をしてからの方が、お願いを聞いてもらえる可能性が高い。
拡張-形成理論:ポジティブな感情は視野や思考の幅を広め、ストレスによる身体と心の不調を整え、能力・活力・意欲が高まり、人脈や活動の範囲が広がることにつながること。ビジネスにおいてもポジティブなアフェクトを活用することが有効で、「部下が成果を出せるかは上司の責任」であり、「楽しんでやれる仕事でなければ、上手くなれない」。
保有効果/心理的所有感:他人には無価値でも、自分のものは価値があると思うこと。
認知的再評価:脳の中のアフェクトに注意を払い、理解し、再評価し、役立てること。ネガティブ・アフェクトは無視したり、抑え込んだりするほど悪影響になる可能性があるので、例えば緊張しているときはそのことを受け入れ、それだけ「ワクワクしている」のだと捉え直すとよい。
目標勾配効果:いくつかのタスクがあるときに、最初のいくつかを達成するともっと頑張ろうと思えること。少しでも達成することでポジティブ・アフェクトが生じる。
e.g. ○個スタンプを集めると1つ無料になるスタンプカードで、最初から2つが押されている。
幸せになるお金の使い方:お金を使うことによって感情が整い、幸福感を得られることもある。
- 経験を買う
- 稀なご褒美にする
- 時間を買う
- 先払いする(チケットなどは先払いすることで、当時は払ったお金のことを忘れて純粋に楽しめる)
- 人に投資する
心理的コントロール:自分で決められるという感覚が満足度、幸福度を高める効果がある。ストレスが溜まっているときに買い物をしたくなるのは、買い物をするという心理的コントロール感を取り戻したい気持ちの表れである。ただし、実際に買い物をしなくてもネットショッピングでカートに入れるだけで気分が和らぐ。
境界効果:自分以外のもの(人・状況)にコントロールされていると強く感じている人は、ボーダーや囲み枠など境界線があるパッケージを好む。薬のパッケージは囲み枠がある方がよく、富裕層向けの商品は枠がなく開放的なデザインの方がよい。
不確実性理論:実際に悪い結果であることよりも、悪い結果になるかもしれないと思って不確実なままの状態の方が、心理的負担が大きいこともある。
e.g. 「がんの疑いがあります」と言われている状態よりも、その後、「やはりがんでした」と告げられて数日後の方がストレス値が低い
あなたの「日常を取り巻く」行動経済学
制御焦点理論:人が目標達成するときの動機には大きく「促進焦点」と「予防焦点」の2つがある。促進焦点では、人生でやりたいことや成功の未来からモチベーションを得る。予防焦点では、こうなりたくないという現在の状態よりも下降したくないことが動機になっている。どちらがいいというものではなく、自分がどちらの傾向か、相手がどちらの傾向かを理解することが大切。
最大化/満足化:最大化タイプは最善の選択をするべく広範囲に及ぶ情報収集をもとにすべての選択肢を吟味する。満足化タイプは容易さと効率を重視し、ある程度のニーズを満たす選択肢を見つけたらその中から直感的または適当に決める。
楽観/後悔回避:前者は物事がスムーズにいくと考え、後者は潜在的な利益がコストを上回っていても後悔する可能性のある選択肢を避ける。
DEI:多様性(Diversity)、公平性(Equity)、包括性(Inclusion)の頭文字を取った概念。人間のバイアスがDEIの促進を妨げている。
★ボクのコメント
行動経済学の主要なトピックスを概観でき、スタバやTikTokなどの身近な事例を行動経済学の観点から説明されることでなるほどと思えることが多かった。自らのバイアスをなくすことはできないが、バイアスがあることを知ることによって、偏った判断をしていないか自省することはできる。あるいは、バイアスを逆に利用して、自らをよい方向に向かわせるよう騙すこともできる。こうしたことから、行動経済学が大いに有用であり、ビジネスマンの教養として必須であるということが言えよう。
一方で、本書の中で「理論」という言葉がよく出てくるものの、本来反証事例が一つでもあるものは理論として破綻しているとする純科学的な立場からすれば、本書はあまりにも胡散臭い。数十人程度の被験者を対象にした実験の結果から、どこまで普遍性のある「理論」が導き出せるのか、という点も問題であるし、本書で紹介される「理論」が主張するような因果関係が実際のところ成り立っているのか、ただの解釈に過ぎないのか、という問題もある。このあたりの各理論を適用するにあたっての限界については本書は黙して語らないので、そのあたりは割り引いて考える必要があると思う。
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