漱石の『門』 ―なぜ宗助は座禅に行ったのか。

読書

『門』は難しい小説だと思う。独特の浮遊感があり、夫婦の生活に密着しているはずなのに生活している感じがしない。例えて言えば、生きているはずなのに黄泉の世界で暮らしているような感覚である。主人公か座禅に行く場面があるというので、なぜ座禅に行く気になったのかが気になり、今回10年ぶりに再読した。

主人公の野中宗助は役所勤めをしているが、今日の平凡サラリーマンと同様、日曜の終わりになると悲しくなるタイプの人間である。

今日の日曜も、のんびりした御天気も、もうすでにおしまいだと思うと、少しはかないようなまたさみしいような一種の気分が起って来た。そうして明日あしたからまた例によって例のごとく、せっせと働らかなくてはならない身体からだだと考えると、今日半日の生活が急に惜しくなって、残る六日半むいかはんの非精神的な行動が、いかにもつまらなく感ぜられた。

※引用は青空文庫より。以下同様

宗助は妻の御米と二人で暮らしている。一応ボクなりに人物相関図を書けば次の通りだ。

宗助と御米は仲睦まじい夫婦だ。とても・・・仲睦まじい夫婦だ。しかしその仲睦まじさには裏がある。彼らには仲睦まじくならざるをえない事情があるのである。それは御米のかつての内縁の夫であり、宗助のかつての大学の友人・安井の存在である。

彼らは人並以上にむつましい月日をかわらずに今日きょうから明日あすへとつないで行きながら、常はそこに気がつかずに顔を見合わせているようなものの、時々自分達の睦まじがる心を、自分でしかと認める事があった。その場合には必ず今まで睦まじく過ごした長の歳月としつきさかのぼって、自分達がいかな犠牲を払って、結婚をあえてしたかと云う当時を憶い出さない訳には行かなかった。彼らは自然が彼らの前にもたらした恐るべき復讐ふくしゅうもとおののきながらひざまずいた。同時にこの復讐を受けるために得た互の幸福に対して、愛の神に一弁いちべんこうく事を忘れなかった。彼らはむちうたれつつ死に赴くものであった。ただその鞭の先に、すべてをやす甘い蜜の着いている事をさとったのである。

二人はそれから以後安井の名を口にするのを避けた。考え出す事さえもあえてしなかった。彼らは安井を半途で退学させ、郷里へ帰らせ、病気に罹らせ、もしくは満洲へりやった罪に対して、いかに悔恨の苦しみを重ねても、どうする事もできない地位に立っていたからである。

二人はとかくして会堂の腰掛ベンチにもらず、寺院の門もくぐらずに過ぎた。そうしてただ自然の恵から来る月日つきひと云う緩和剤かんわざいの力だけで、ようやく落ちついた。時々遠くから不意に現れるうったえも、苦しみとか恐れとかいう残酷の名を付けるには、あまりかすかに、あまり薄く、あまりに肉体と慾得を離れ過ぎるようになった。必竟ひっきょうずるに、彼らの信仰は、神を得なかったため、ほとけに逢わなかったため、互を目標めじるしとして働らいた。互にき合って、丸い円をえがき始めた。彼らの生活はさみしいなりに落ちついて来た。その淋しい落ちつきのうちに、一種の甘い悲哀を味わった。

しかし、ひょんな機会に宗助はある事実を知ってしまう。それは、あの安井が大家の家にやってくるということだった。そのせいで、時間の経過という治癒剤でしのいでいた心の傷が、再びズキズキと痛みだすのである。

 彼は黒い夜の中を歩るきながら、ただどうかしてこの心から逃れ出たいと思った。その心はいかにも弱くて落ちつかなくって、不安で不定で、度胸がなさ過ぎて希知けちに見えた。彼は胸をおさえつける一種の圧迫のもとに、いかにせば、今の自分を救う事ができるかという実際の方法のみを考えて、その圧迫の原因になった自分の罪や過失は全くこの結果から切り放してしまった。その時の彼はひとの事を考える余裕よゆうを失って、ことごとく自己本位になっていた。今までは忍耐で世を渡って来た。これからは積極的に人世観を作りえなければならなかった。そうしてその人世観は口で述べるもの、頭で聞くものでは駄目であった。心の実質が太くなるものでなくては駄目であった。
 彼は行く行く口の中で何遍も宗教の二字を繰り返した。けれどもその響は繰り返すあとからすぐ消えて行った。つかんだと思う煙が、手を開けるといつの間にか無くなっているように、宗教とははかない文字であった。
 宗教と関聯かんれんして宗助は坐禅ざぜんという記憶を呼び起した。昔し京都にいた時分彼の級友に相国寺しょうこくじへ行って坐禅をするものがあった。当時彼はその迂濶うかつを笑っていた。「今の世に……」と思っていた。その級友の動作が別に自分と違ったところもないようなのを見て、彼はますます馬鹿馬鹿しい気を起した。
 彼は今更ながら彼の級友が、彼の侮蔑ぶべつあたいする以上のある動機から、貴重な時間を惜しまずに、相国寺へ行ったのではなかろうかと考え出して、自分の軽薄を深く恥じた。もし昔から世俗で云う通り安心あんじんとか立命りつめいとかいう境地に、坐禅の力で達する事ができるならば、十日とおか二十日はつか役所を休んでも構わないからやって見たいと思った。

要するに、これが宗助が座禅に赴いた理由である。これが、宗助が寺門をくぐった理由である。安井の来訪を前にして、宗助は御米にその来訪を打ち明けることがどうしてもできなかった。御米という精神の支えにすがることができなかった彼は、もはや宗教的安心にしか、頼れるところを見出しえなかったのである。しかし寺門をくぐったものの、彼が抱える問題、彼が通り抜けなければならない関門は、やはり依然として高いままだった。

自分は門をけて貰いに来た。けれども門番は扉の向側むこうがわにいて、たたいてもついに顔さえ出してくれなかった。ただ、「敲いても駄目だ。ひとりで開けて入れ」と云う声が聞えただけであった。彼はどうしたらこの門のかんのきを開ける事ができるかを考えた。そうしてその手段と方法を明らかに頭の中でこしらえた。けれどもそれを実地に開ける力は、少しも養成する事ができなかった。したがって自分の立っている場所は、この問題を考えない昔とごうも異なるところがなかった。彼は依然として無能無力に鎖ざされた扉の前に取り残された。彼は平生自分の分別を便たよりに生きて来た。その分別が今は彼にたたったのを口惜くちおしく思った。そうして始から取捨も商量もれない愚なものの一徹一図をうらやんだ。もしくは信念にあつい善男善女の、知慧も忘れ思議も浮ばぬ精進しょうじんの程度を崇高と仰いだ。彼自身は長く門外に佇立たたずむべき運命をもって生れて来たものらしかった。それは是非もなかった。けれども、どうせ通れない門なら、わざわざそこまで辿たどりつくのが矛盾であった。彼はうしろかえりみた。そうしてとうていまた元の路へ引き返す勇気をたなかった。彼は前をながめた。前には堅固な扉がいつまでも展望をさえぎっていた。彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ちすくんで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。

この小説は秋に始まり、春に終わる。しかし、春になった時に宗助の念頭にあるのは、次の冬である。この男は、冬の門前に立ちすくむ男なのである。だが、その諦念を責めることは、私にはできないと思った。

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