古典

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三銃士v.s.モンテ・クリスト伯、どちらの方が面白いか?

アレクサンドル・デュマの『三銃士』と『モンテクリスト伯』を読んで。 どちらもアレクサンドル・デュマ(ペール)の有名作ということで、立て続けに読む。三銃士の方は大変面白く、一気に読んでしまったが、モンテ・クリスト伯は長すぎて途中だれてしまった。 イギリスの作家、サマセット・モームは『読書案内』において、三銃士について次のように記している。
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ツルゲーネフ『父と子』 ロマンチストとニヒリスト

19世紀ロシアの作家、イワン・ツルゲーネフの代表作。「ニヒリスト」という言葉を有名にしたという点でも重要な作品だと聞いていたが、作中の「ニヒリスト」は決して厭世家ではない。作中の青年アルカージイはこう解説している:「ニヒリストというのは、いかなる権威の前にも頭を下げぬ人、いかなる原理も、たとえその原理がひとびとにどんなに尊敬されているものであっても、そのまま信条として受けいれぬ人をいうのです」
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死せる<魂/農奴>をめぐる詐欺師チチコフの遍歴。

N.ゴーゴリ『死せる魂』19世紀ロシアの作家ニコライ・ゴーゴリの代表作。物々しいタイトルと全三巻の分厚さに怖気づいて積ん読状態だったが、読み始めると想像以上の面白さで一気に読んでしまった。 主人公のチチコフは、戸籍上は生きているが実際には亡くなった農奴を買い取り、それを担保に銀行から金を借りてずらかることを画策する。言わば詐欺師なのだが、持ち前の洗練された物腰で人々に巧みに取り入る。死んだ農奴を買うという非常識な行為に対して地主たちが示す困惑・抵抗と、それを説得したりやり込めたりするチチコフの弁舌が見どころ。
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ゴーゴリが拡大する人間の醜さについて

19世紀ロシアの作家ニコライ・ゴーゴリの作品3作を読む。 「外套・鼻」は6年ぶりに再読。当時はB5ノート5ページにわたって感想を記すほど興が湧いたが、今回は割に冷静に読んでしまった。 「鼻」は床屋の朝食から生身の鼻が出てきたかと思えば、その鼻が独り歩きして紳士として振る舞ったりするなど荒唐無稽だが、一つの思考実験として面白い。 官職を求めてペテルブルグに滞在中で、プライドが高く大の女好きのコワーリョフにとって、鼻がなくなるという事態は社会的な死を意味した。
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岩波文庫で歴代最長タイトルの小説を読んでみるとくだらなすぎて戸惑った話。

1927年の創刊以来、現在まで存続する岩波文庫に収められた数々の作品の中でもおそらく最長のタイトルを有する本は、早くも創刊翌年の1928年に出版された。そのタイトルは、『イワーン・イワーノウィッチとイワーン・ニキーフォロウィッチとが喧嘩をした話』である。19世紀ロシアの作家・ニコライ・ゴーゴリ作の小説で、2018年にリクエスト復刊された際に購入したまま放置していたのだが、先日何とはなしに一気読みしてしまった。
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エミール・デュルケム『社会学的方法の規準』を読む その3――創発としての社会

デュルケムの『社会学的方法の規準』(1895年)を読む試みです(第3回/全3回)。第四章 社会類型の構成にかんする諸規準 前章で述べられたように、ある社会的事実が正常か、病理的であるかは社会の種類、「社会種」によって異なる。では、社会種はどのように構成し、分類すればよいかというのが本章での課題となる。デュルケムによると、分類を行うことの意義は、次のようになる:
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エミール・デュルケム『社会学的方法の規準』を読む その2――犯罪は「正常」な社会現象?

デュルケムの『社会学的方法の規準』(1895年)を読む試みです(第2回/全3回)。第三章 正常なものと病理的なものの区別にかんする諸規準 第三章は本書の肝だと思うので、少し詳しく取り上げる。実践の学としての社会学 ここまでデュルケムは社会学が科学としての性質を獲得できるように、社会学独自の研究対象とその観察における諸規準について述べてきたが、彼は社会学が単に社会的諸事実の観察や説明に留まるべきだとは考えていない。むしろ、社会学は「いかにあるか」という問題だけでなく、「いかにあるべきか」という問題をも探究できなければならない、と宣言している。
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エミール・デュルケム『社会学的方法の規準』を読む その1――社会をモノのように扱う

デュルケムの『社会学的方法の規準』(1895年)を読む試みです(第1回/全3回)。 エミール・デュルケム(1858-1917)といえば『自殺論』が有名であるが、中公文庫で買ってまもなく字の大きな新装版が同文庫で出版されたショックで放置したまま、読んでいない。最近自分の中で社会学への関心が俄に高まり、社会学の始祖の一人として著名なデュルケムの方法論的アプローチを示した代表作として本書が読んでみたくなった。読んでからかなり経ってしまい、何が書いてあったか大分忘れてしまったが、社会的な現象をモノのようにして扱う、というテーゼと、犯罪は必要ですらあるという新奇なテーゼ、および、社会を科学的に探究するための方法論的考察への真摯な姿勢が印象に残っている。以下、復習。
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汗牛足vol.25 ガリヴァーvsクルーソー イギリスの植民地主義をめぐって

前々回に、『ロビンソン・クルーソー』は掠奪から植民・貿易へと転換するイギリス社会という時代背景と密接に関わったリアルな本だったと書きました。それだけに主人公クルーソーはまさにこの時代の申し子であって、プランテーション経営にも乗り出しますし、奴隷の密貿易も計画していたわけです。ところがガリヴァーは違います。そもそもガリヴァーはあくまで船医として船に乗っていたので、彼は直接貿易に関わっていたわけではないのです。
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汗牛足vol.24 ガリヴァーは人間嫌いだった!?

スウィフト『ガリヴァー旅行記』ガリヴァーさんは難破して小人の島に流れ着き、目覚めたら糸で体を縛られていた、それくらいは知っているけどそれ以上はハテナでした。ところがエラスムスの『痴愚神礼賛』を読んで諷刺の面白さに目覚め、この作品も諷刺文学の傑作と聞いてどんなものかと読んでみることに。諷刺そのものはイギリス史に明るくないのでよくわからないことがほとんどでしたが、個人的には『ロビンソン・クルーソー』より面白かったです。